完璧なメタル・アルバムなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
僕が昔よく通ったバーの主人は、僕にそう語りかけたことがある。もちろん、彼はメタル・アルバムの代わりに「文章」という言葉を使った。デレク・ハートフィールドからの引用だったか、それとも彼自身の言葉だったのか、今となってはもう思い出せない。どちらにせよ、それは真実の一片を捉えているような気がした。
今、僕は別の街の、別のバーにいる。時刻はもうじき午前二時になろうとしていた。客は僕一人。バーテンダーは黙々とグラスを磨いている。彼の背後の棚には、ラベルの剥がれかかったウイスキーのボトルが、まるで墓石のように並んでいた。店内のスピーカーからは、古ぼけたロック・ミュージックが流れていた。そして、曲と曲の間の短い沈黙のあと、不意にその音楽は始まった。幾重にも重ねられたギターのハーモニーと、物語を紡ぐような力強い声。ブラインド・ガーディアンだった。
その音を耳にした瞬間、僕はまるで古い井戸の底に沈んでいた記憶の断片を、不意に釣り上げられたような奇妙な感覚に襲われた。ブラインド・ガーディアン。彼らの音楽は、僕の人生のサウンドトラックというにはあまりに壮大で、しかし、僕の人生の風景のところどころに、まるで古い標識のように、あるいは道端に忘れられた一対の手袋のように、確かに存在し続けてきた。
彼らは単なるミュージシャンではなかった。人々は彼らを「バード(吟遊詩人)」と呼んだ。彼らは、僕たちの世代が失ってしまった、あるいは最初から持ち合わせていなかった壮大な物語を、エレクトリック・ギターとドラムの轟音に乗せて語り継ぐ旅人だった。J・R・R・トールキンやスティーヴン・キングが紡いだ幻想世界を、僕たちの住むこの退屈で、どうしようもなく現実的な世界へと運び込む、一種の媒介者のような存在。それがブラインド・ガーディアンだった。僕はカウンターの上のビールグラスについた水滴を、意味もなく指でなぞった。グラスの向こう側で、バーテンダーの姿がぼんやりと歪んで見える。これから語ろうとすることは、彼らの歴史の正確な記録ではないかもしれない。それはむしろ、ブラインド・ガーディアンという名の音楽が僕の人生と交差したいくつかの地点についての、きわめて個人的で、断片的な覚書のようなものだ。完璧な物語が存在しないように、完璧な記憶もまた、存在しないのだから。
第一章:凍てつく風を聴け、あるいはジャーマン・メタルの壁と卵
1980年代の半ば、ドイツという国は、僕にとってひどく遠い場所だった。そこは分厚い壁に囲まれ、冬には凍てつくような風が吹く、灰色の工業地帯というイメージしかなかった。しかし、その壁の内側で、何かが静かに、しかし確実に生まれつつあった。それは新しい種類の音だった。アメリカのカラッとした攻撃性とも、イギリスの湿った憂鬱とも違う、どこか古風で、それでいて猛烈に速い金属音。人々はそれをジャーマン・メタルと呼んだ。
その風景の中心にいたのが、ハロウィンだった。彼らが1987年と1988年に立て続けにリリースした『守護神伝』の二部作(Keeper of the Seven Keys Part I & II)は、単なるアルバムではなかった。それは一種の事件であり、世界のルールが書き換えられた瞬間だった。彼らは、スラッシュメタルの疾走感と、カイ・ハンセンが言うところの、ドイツ人が血の中に持つ「シュラーガー」(大衆歌謡)的な、どこか感傷的でキャッチーなメロディを融合させた。それは、それまで誰も聴いたことのない音楽だった。ツーバスの連打、ツインリードの哀愁のメロディ、そして高らかに歌い上げられるコーラス。彼らが提示したそのスタイルは、その後「パワーメタル」と呼ばれるジャンルの設計図そのものになった。
ハロウィンが「七つの鍵」を見つけ出したとき、ドイツ中の若者たちが、自分だけの扉を探し始めた。その流れの中から、数多くのバンドが生まれた。クローミング・ローズのようなバンドは、ハロウィンが切り開いた道を忠実に、そして誠実に歩もうとした。彼らの音楽は、ハロウィンという巨大な恒星の周りを回る惑星のようだった。それはそれで美しい軌道だったが、自分自身で光を放つことはなかった。
そんな中、クレーフェルトという工業都市で、ひときわ異質な光を放とうとする若者たちがいた。ハンズィ・キアシュ(ヴォーカル、ベース)、アンドレ・オルブリッチ(ギター)、マーカス・ズィーペン(ギター)、そしてトーメン・スタッシュ(ドラム)。彼らは最初、ルシファーズ・ヘリテッジという、ありふれた名前で活動していた。しかし1987年、彼らはその名前を捨て、ブラインド・ガーディアンと名乗ることを決める。その名は、アメリカのプログレッシブ・メタルバンド、フェイツ・ウォーニングのアルバム『Awaken The Guardian』に由来するという。それは、悪魔的なイメージからの決別であり、より文学的で、物語性に富んだ世界への第一歩だった。彼らは、ハロウィンが築いた「ジャーマン・メタル」という名の強固な壁を認識しながらも、その壁に自分たちだけの扉を、自分たちだけの言葉で描こうとしていた。それはまるで、硬い殻を持つ卵が、自らの力で内側から世界を破ろうとするような、静かで、しかし確固たる意志の表れだった。
第二章:カイ・ハンセンとの邂逅、そしてヴァルハラでの短い会話
ブラインド・ガーディアンの初期の歩みは、偉大な先達の影と、そこからいかにして抜け出すかという葛藤の物語として記憶されている。そしてその物語には、キーパーソンとして、ハロウィンの創設者であるカイ・ハンセンその人が深く関わっていた。
『Battalions Of Fear』(1988年)
彼らのデビューアルバムは、若さと衝動が生み出した、純粋なスピードメタルの塊だった。そのサウンドは、磨かれる前のダイヤモンドのような、荒々しい輝きを放っていた。ハンズィのヴォーカルは、後に彼の代名詞となる重厚なコーラスではなく、ジェイムズ・ヘットフィールドを彷彿とさせるような、攻撃的なシャウトに近いものだった。収録曲の「Majesty」や「Guardian of the Blind」は、ハロウィンからの影響を隠さない、典型的なジャーマン・スピードメタル・チューンでありながら、すでに彼らならではのメロディの閃きが随所に見て取れる。それはまるで、安いバーボンを一気に呷るような、強烈だが洗練とは言い難い体験だった。
『Follow the Blind』(1889年)
このセカンドアルバムこそ、彼らのキャリアにおける最初の転換点だった。所属レーベルのボスが、ハロウィンを脱退したばかりのカイ・ハンセンに連絡を取り、「ハロウィンに強く影響を受けたすごい若者たちがいる」と伝えたことから、すべては始まった。ハンズィにとって、カイは「アイドル」であり、そのアイドルが自分たちのスタジオを訪れることは、まるで「勲章」のような出来事だったという。
カイ・ハンセンは、このアルバムでゲストとしてギターソロとヴォーカルを披露した。特に、今や彼らのライヴのハイライトの一つである「Valhalla」でのカイの参加は決定的だった。このコラボレーションは、単なる話題作り以上の意味を持っていた。それは、ジャーマン・メタルの始祖から次世代への、たいまつリレーのような儀式だった。カイ・ハンセンという「お墨付き」を得たことで、ブラインド・ガーディアンは単なるフォロワーではない、正統な後継者としての地位を確立し、特に日本のマーケットで大きな注目を集めることになった。アルバム自体も、デビュー作の荒々しさを残しつつ、より構成力とダイナミズムを増しており、彼らの成長は明らかだった。
『Tales from the Twilight World』(1990年)
3枚目のアルバムで、彼らはついに自分たちの「黄昏の国」への扉を開いた。この作品は、彼らがスピードメタルバンドから、我々が知る「バード」へと変貌を遂げる過渡期のドキュメントだ。カイ・ハンセンはここでも「Lost in the Twilight Hall」にゲスト参加し、ハンズィとのヴォーカル・デュエルを繰り広げている。
このアルバムの重要性は、彼らが初めてアコースティック・バラード「Lord of the Rings」を取り入れたことにある。それは、ただ疾走するだけではない、物語を語るための静寂と叙情性を彼らが手に入れた瞬間だった。また、幾重にも重ねられたコーラスワークが本格的に導入され始め、後のシンフォニックなサウンドの萌芽が見られる。このアルバムの成功により、彼らは日本でのデビューと、メジャーレーベルであるヴァージン・レコードとの契約を勝ち取った。それは、彼らがドイツのローカルシーンを飛び出し、世界の舞台へと旅立つためのパスポートだった。
カイ・ハンセンとの蜜月は、彼らにとって不可欠な「師弟関係」の期間だったと言える。カイは彼らに技術的な助言を与え、シーンでの信頼性を保証し、より広い世界への橋を架けた。そして、ブラインド・ガーディアンがその橋を渡り切り、自らの足で立つ準備ができたとき、この師弟関係は静かに、しかし必然的に終わりを迎えることになる。
第三章:遥かなる地平を越えて
1992年、ブラインド・ガーディアンは4枚目のアルバム『Somewhere Far Beyond』をリリースした。それは、彼らがついに自分たちだけの声を見つけ、自分たちだけの地図を広げた瞬間だった。もしそれまでのアルバムが良い写真だったとするなら、このアルバムは初めて描かれた油絵だった。被写体は同じでも、その筆致と色彩は、紛れもなく彼ら自身のものだった。
このアルバムは、プロデューサーのKalle Trappと共に、これまでのスピードメタル路線を極限まで洗練させると同時に、未来への扉を開く大胆な実験に満ちていた。彼らはキーボード、オーケストレーション、そしてフォークの要素を積極的に取り入れた。その最も象徴的な例が、バグパイプの物悲しい音色で始まるタイトル曲「Somewhere Far Beyond」や、インストゥルメンタル曲「The Piper’s Calling」だろう。
カイ・ハンセンは「The Quest for Tanelorn」で最後のゲスト参加を果たしている。彼のギターソロは、まるで師匠が独り立ちする弟子に贈る、最後の力強い握手のように響いた。そして、このアルバムから、彼らの歌詞の世界はさらに深みを増していく。これまでの漠然としたファンタジーではなく、スティーヴン・キングの『ダーク・タワー』シリーズ(「Somewhere Far Beyond」)や、マイケル・ムアコックの「エターナル・チャンピオン」シリーズ(「The Quest for Tanelorn」)といった、具体的な文学作品にインスピレーションを求めるようになったのだ。彼らが真の「バード」となったのは、この時からだった。
そして、このアルバムには、まるで偶然のように、しかし運命づけられていたかのように、一曲の歌が収められていた。「The Bard’s Song – In the Forest」。アコースティックギターとハンズィの歌声だけで構成されたこのシンプルな曲は、やがてバンドの代名詞となり、彼らに「バード」という愛称を与え、世界中のライヴ会場で数万人のファンによる大合唱を巻き起こす聖歌となった。それは、メタルバンドのアンセムが、必ずしも轟音である必要はないという、静かな革命だった。
鏡の向こう側との遭遇:初めての日本ツアー
『Somewhere Far Beyond』の成功は、特に日本で絶大なものだった。その熱狂に応えるように、彼らは初めてドイツ国外でのツアー、日本公演へと旅立った。それは彼らにとって、まるで鏡の向こう側の世界へ足を踏み入れるような、シュールな体験だったに違いない。自分たちがクレーフェルトの薄暗いリハーサル室で生み出した音楽が、遠い異国の地で、これほどまでに深く理解され、愛されているという事実。
1992年12月、東京の厚生年金会館とNHKホールで行われた公演は、その熱狂を記録するためにレコーディングされ、翌年、ライヴアルバム『Tokyo Tales』としてリリースされた 25。このアルバムに収められているのは、バンドの演奏だけではない。オープニングの「Inquisition」から沸き起こる「ガーディアン!ガーディアン!」という大合唱、そしてすべての曲でハンズィと共に歌う数千人の日本のファンの声だ。それは、バンドとオーディエンスの間に生まれた、強烈で共生的な関係性のドキュメントだった。
当時の日本の音楽雑誌『BURRN!』のレビューには、「ハロウィンとどこが違うのか?」という、やや意地悪な問いかけもあったかもしれない。しかし、その答えは『Tokyo Tales』の中にあった。そこに記録されていたのは、単なる模倣ではない、ブラインド・ガーディアンというバンドと、彼らの物語を愛するファンとの間にしか生まれ得ない、唯一無二のエネルギーの交歓だった。日本での体験は、彼らの自信を確固たるものにし、自らが「バード」であるというアイデンティティを、より強く意識させるフィードバック・ループとなった。この旅を経て、彼らはさらに遥かなる地平を目指す覚悟を決めたのだ。
第四章:鏡の向こう側の想像力
『Somewhere Far Beyond』と日本での成功は、ブラインド・ガーディアンを世界のトップバンドの仲間入りさせた。安全な道を選ぶなら、『Somewhere Far Beyond Part 2』を作ることもできただろう。しかし、彼らはその道を選ばなかった。彼らは、自分たちが作り上げたばかりの心地よい場所を自ら破壊し、鏡の向こう側へと、意図的に、そして大胆に跳躍することを選んだ。その結果生まれたのが、1995年のアルバム『Imaginations from the Other Side』だ。
このアルバムの制作は、変化への渇望から始まった。バンド、特にハンズィとアンドレは、Kalle Trappがプロデュースした過去2作のサウンドに満足していなかった。彼らはヨーロッパ中のスタジオを旅し、新たなサウンドを共に作り上げてくれるプロデューサーを探した。そしてデンマークで、彼らは運命的な出会いを果たす。メタリカの『Master of Puppets』や『…And Justice for All』を手掛けた伝説的プロデューサー、フレミング・ラスムッセンだ。
ラスムッセンとの作業は、バンドを「全く異なるレベル」へと引き上げた。彼はリズムギターとヴォーカルのパフォーマンスに、これまで以上の完璧さを要求した。その結果、サウンドはよりダークで、ヘヴィで、複雑かつプロフェッショナルなものへと進化した。このアルバムは、カイ・ハンセンが一切関与しなかった最初の作品であり、ハンズィがベースを弾いた最後のアルバムでもある。それは、彼らが師の助けも借りず、完全に独力で作り上げた、真の独立宣言だった。
アルバムは、壮大なタイトル曲「Imaginations from the Other Side」で幕を開ける。その歌詞は、オズの魔法使いからナルニア国、そして中つ国まで、様々な物語の世界への扉を開く呪文のようだ。続く「I’m Alive」や「The Script for My Requiem」は、彼らのスピードメタル時代を彷彿とさせる攻撃性と、シンフォニックな壮大さを見事に融合させている。
一方で、「A Past and Future Secret」のようなケルト音楽の影響を受けたアコースティック・バラードは、彼らの叙情的な側面をさらに深化させた。そして「Mordred’s Song」は、アーサー王伝説の悲劇的な登場人物をテーマに、ゆっくりと、しかし確実に緊張感を高めていく構成力で、彼らのソングライティングの成熟を証明した。シングルにもなった「Bright Eyes」は、ハンズィ自身の内面を歌ったとされる、ダークでエモーショナルな楽曲だ。
このアルバムには、鏡を通り抜けて異世界へと旅立つ子供、という緩やかなコンセプトが存在する。それは、現実と想像力の境界線が曖昧になるという、僕が村上春樹の小説を読んだ時にいつも感じる感覚と、どこか似ていた。そしてその物語は、20年の時を経て、アルバム『Beyond the Red Mirror』で再び語られることになる。
『Imaginations from the Other Side』の制作は、計算されたリスクだった。商業的な成功を収めたばかりのサウンドを捨て、より複雑でヘヴィな方向性へと舵を切ったのだ。当時、その変化に戸惑い、「こんなのスローでくだらない」と離れていったファンもいたという。しかし、バンドは芸術的な成長を、目先のファンの期待よりも優先した。その賭けは結果的に大成功を収め、このアルバムは今や彼らの最高傑作の一つとして、そして彼らのモダンなサウンドの礎として揺るぎない評価を得ている。彼らは、自分たちが信じる道を突き進むことで、ファンがやがて追いついてくることを知っていたのだ。それは、真のアーティストだけが持つことのできる、静かな自信の表れだった。
第五章:バードたちの長い旅路――ヴァッケンの野外ステージから世界の果てまで
ブラインド・ガーディアンの物語を語る上で、彼らのライヴ・パフォーマンスを抜きにすることはできない。それはまるで、長編小説のクライマックスだけを抜き出したような、濃密で特別な時間だ。そして、その物語が最も劇的に演じられる舞台こそ、ドイツ北部で毎年夏に開催される世界最大のメタル・フェスティバル、ヴァッケン・オープン・エア(Wacken Open Air)に他ならない。
ヴァッケンの地平線に夕陽が沈み、数万人の黒いTシャツを着た人々が、まるで巡礼者のようにステージの前に集まってくる。そんな光景を、僕は何度も映像で見てきた。そして、バンドがステージに現れ、いくつかの激しい曲を演奏した後、必ずその瞬間は訪れる。アンドレ・オルブリッチがアコースティック・ギターを手にし、あの有名なアルペジオを奏で始めると、地鳴りのような歓声が上がるのだ。「The Bard’s Song」。ハンズィが最初の数小節を歌うと、あとはオーディエンスの仕事だ。肌の色も、話す言葉も違う数万人の人々が、まるで一つの巨大な生き物のように、同じ歌を、同じメロディで歌い始める。それは、1992年の東京で始まったバンドとオーディエンスの共生関係が、最も純粋な形で結晶化した瞬間だ。彼らが単に音楽を演奏するのではなく、ファンと共に物語を体験する「バード」であることを、何よりも雄弁に物語っている。
彼らの旅は、ヴァッケンだけに留まらない。その足跡は、3枚の公式ライヴ・アルバムに刻まれている。1993年の『Tokyo Tales』は、彼らが初めて異国の熱狂に触れた瑞々しい記録だった 25。2003年の『Live』は、東京からストックホルム、マドリード、モスクワまで、世界中を巡るツアーの模様を2枚のディスクに収め、彼らがグローバルな存在になったことを証明した。そして2017年の『Live Beyond the Spheres』は、その地位をさらに揺るぎないものにした。
特筆すべきは、2004年にリリースされたDVD『Imaginations Through the Looking Glass』だろう。彼らは既存のフェスティバルに出演するのではなく、自分たちの理想のライヴを記録するために、ドイツのコーブルクで2日間にわたる自分たちだけのフェスティバルを主催したのだ。それは、完璧を求める彼らの姿勢と、ファンとの特別な繋がりを象徴する出来事だった。
ブラインド・ガーディアンのコンサートは、単なる音楽イベントではない。それは、世界中に散らばった部族が、年に一度、聖地に集うような、一種の共同体の儀式だ。ハンズィのカリスマ的なステージングと、バンドの鉄壁の演奏が生み出すエネルギーは、オーディエンスを巻き込み、増幅され、再びステージへと還っていく。その空間では、演奏者と聴衆の境界線は溶け合い、誰もが物語の登場人物となる。だからこそ、彼らのファンはこれほどまでに忠実で、彼らのライヴはこれほどまでにパワフルなのだ。
第六章:神々のマシーンと、古き友人のための鎮魂歌
どんな長い旅にも、時には過去を振り返る瞬間がある。2022年にリリースされたアルバム『The God Machine』は、ブラインド・ガーディアンが自らの長い旅路を振り返り、そして、共に歩んできた古くからの友人たち――つまり、僕のようなオールドファン――と対話するために作り上げた作品のように思える。
インターネットの片隅で交わされる、顔の見えないリスナーたちの会話の断片を拾い集めてみると、このアルバムに対する評価は驚くほど一貫している。「25年ぶりの最高傑作だ」。「彼らのスピード/パワーメタル時代への回帰だ」。「過剰に壮大すぎず、曲そのものに焦点が合っている」。これらの声が示しているのは、『A Night at the Opera』(2002年)以降、オーケストレーションを多用し、複雑化の一途を辿った彼らの音楽に、ある種の戸惑いを覚えていたファンたちが、再び彼らの元へと帰ってきたという事実だ。
『The God Machine』のサウンドは、意図的に90年代の彼らを彷彿とさせる。オープニングを飾る「Deliver Us From Evil」から、アルバムは猛烈なスピードで駆け抜けていく。そのリフの切れ味と疾走感は、紛れもなく『Imaginations from the Other Side』の頃の彼らのものだ。しかし、これは単なる過去への回帰ではない。歌詞のテーマは、現代の魔女狩りやパラノイア、戦争、そしてハンズィ自身の母親の死といった、ファンタジーの世界ではなく、僕たちが住むこの現実の闇に深く根差している。
では、僕のような、彼らの初期の作品に特別な思い入れを持つオールドファンは、このバンドの長い変遷とどう向き合えばいいのだろうか。答えは、おそらく「変化を嘆く」ことでも「無理に新しいものを受け入れる」ことでもない。彼らの旅路を、一人の人間の人生のように捉え直すことだ。20歳の頃の情熱と、40歳になって手に入れた円熟が、同じ人間の中に同居しているように。
『The God Machine』は、その完璧な回答だ。ハンズィが語るように、彼らは「1992年にやったことを再現しようと試みた。ただし、若さを熟練の経験で補いながら」。そこにあるのは、若き日の攻撃性と、数十年のキャリアで培われた作曲能力と演奏技術の、見事な統合だ。それは、彼らが自らの過去を否定するのではなく、現在の自分たちの一部として肯定していることの証明に他ならない。
さらに、2024年にリリースされた『Somewhere Far Beyond Revisited』は、この過去との対話をより明確なものにした。彼らは自分たちのクラシック・アルバムを、現在のラインナップと技術で再録音するという、大胆な試みを行った。アンドレが言うところの「クールなハイブリッド・バージョン」を作り上げることで、彼らは過去と現在を一本の線で結んでみせたのだ。
だから、もしあなたが『A Night at the Opera』の壮大さに少し疲れてしまったのなら、『The God Machine』を聴いてみるといい。そこには、クレーフェルトからやってきた、あの腹を空かせた若者たちの魂が、今も変わらず息づいて いるのがわかるはずだから。それはまるで、長い間会っていなかった旧友から届いた手紙のようだ。新しい便箋に、しかし昔と変わらない筆跡で、こう書かれている。「僕は、何も忘れてはいないよ」と。
終章:そして新しい物語が始まる場所へ
バーのスピーカーから流れていたブラインド・ガーディアンの曲は、いつの間にか終わっていた。その後に訪れた沈黙は、音楽が掘り起こした様々な記憶の重みで、やけにずっしりと感じられた。
僕は残っていたビールを飲み干し、勘定を払って店を出た。ひんやりとした夜の空気が、火照った頬に心地よかった。僕はポケットから煙草を取り出して火をつけ、深く煙を吸い込んだ。
彼らの物語に、明確な結論はない。それは、僕の人生に結論がないのと同じだ。彼らはこれからも旅を続け、新しい物語を紡いでいくだろう。2025年にも、彼らは再び世界中をツアーするらしい 55。ある者はその新しい物語を愛し、ある者は古い物語を懐かしむ。それでいいのだと思う。
彼らのアルバム『Imaginations from the Other Side』の最後の曲のタイトルは、「And the Story Ends」だ。しかし、彼らが本当に言いたかったのは、物語の終わりそのものではないのかもしれない。一つの物語が終わる場所は、常に、新しい物語が始まる場所に過ぎないのだから。
音楽は止まった。しかし、物語は、どうやらまだどこかで続いているらしかった。いつだってそうだ。そして、多分、僕たちが本当に求めることができるのは、それだけのことなのかもしれない。
付録:バードたちの決定盤(レコメンドナンバー)
| 年 | アルバム・タイトル | 代表曲 | 僕のメモ |
| 1988 | Battalions Of Fear | “Majesty”, “Guardian of the Blind” | 世界よりも大きな声で叫ぼうとする四人の若者の音。安くて強いウイスキーのようだ。 |
| 1989 | Follow the Blind | “Banish from Sanctuary”, “Valhalla” | 薄暗いスタジオで交わされた、憧れの人物との会話。アンプから漂うオゾンの匂いがする。 |
| 1990 | Tales from the Twilight World | “Lost in the Twilight Hall”, “Lord of the Rings” | 騒音よりも物語の方が重要になり始めた瞬間。 |
| 1992 | Somewhere Far Beyond | “The Bard’s Song”, “Time What Is Time” | 夢でしか見たことのなかった場所への地図を、バンドが見つけた時の音。そして、バグパイプ。 |
| 1995 | Imaginations From the Other Side | “Imaginations…”, “Bright Eyes”, “A Past and Future Secret” | 鏡を覗き込んだ時、そこに映っているのが本当に自分なのか、少し自信がなくなるような感覚。 |
| 1998 | Nightfall in Middle-Earth | “Mirror Mirror”, “Nightfall”, “Time Stands Still…” | 百回読んだ本を、一度も聴いたことのない物語として語り直すこと。 |
| 2002 | A Night at the Opera | “And Then There Was Silence”, “Battlefield” | 層が多すぎる。まるでフロスティングばかりのケーキだ。壮大で、消化の悪いケーキ。 |
| 2006 | A Twist in the Myth | “Fly”, “Another Stranger Me” | 奇妙な夢を、そこにいなかった誰かに説明しようとするときの音。 |
| 2010 | At the Edge of Time | “Sacred Worlds”, “Wheel of Time” | エレキギターで大聖堂を建てようという試み。時々、それは成功する。 |
| 2015 | Beyond the Red Mirror | “The Ninth Wave”, “The Throne” | 僕たちが準備できていようがいまいが、物語は続く。鏡は今や赤く染まっている。 |
| 2019 | Legacy of the Dark Lands | “1618 Ouverture”, “War Feeds War” | バードたちはギターを置き、オーケストラを手に取った。これはまた別の種類の旅だ。 |
| 2022 | The God Machine | “Deliver Us From Evil”, “Secrets of the American Gods” | 新しい便箋に書かれた、旧友への手紙。そこにはこうある。「僕は忘れていない」と。 |

Raiders.rocks編集長。30年以上にわたりヘヴィメタル、ハードロック、プログレッシブロック専門誌の編集長を務める。Monsters Of Rock、Wacken Open AirやOzzfest、NearFest、FujiRock、SummerSonic、LoudParkなど、国内外の主要フェスティバルでの豊富な取材経験を持つ。深い知識とバンドが置かれた現場での視点から、ヘヴィメタル、ハードロック、プログレッシブロックの専門情報をお届けします。


コメント