カボチャの守護神たち:HELLOWEEN、その疾走する軌跡と魂の物語

hisory
Fotograf, Photographer, Los Angeles, Hollywood, Heidelberg

I. 序章:ハンブルグの風が運んだメロディ

ハンブルグの港に吹く風は、いつだって新しい物語を運んでくる。1980年代初頭、その風に乗って、後にヘヴィメタル史にその名を刻むことになる一つのバンドが、静かに、しかし確かな胎動を始めた。HELLOWEEN、そのカボチャの種は、ドイツの地で蒔かれたのである。

バンドの初期衝動は、カイ・ハンセン(ギター、ボーカル)、マイケル・ヴァイカート(ギター)、マーカス・グロスコフ(ベース)、インゴ・シュヴィヒテンバーグ(ドラム)の4人の若者によって形作られた。彼らの音楽は、ジューダス・プリーストやブラック・サバスといった巨星からの影響を色濃く受けながらも、独自の道を模索していた。1985年、彼らはミニアルバム『Helloween』でメジャーシーンにその姿を現した。

初期のHELLOWEENにおいて、ボーカルはカイ・ハンセンが兼任していた。彼の歌声は、後に加入するマイケル・キスクの「驚異的」な表現力と比較されると、「ダメダメ」と評されることもあったという。しかし、その荒々しくも力強いスクリームは、バンドが当時追求していたスピードメタルのサウンドに、紛れもない初期衝動と生々しいエネルギーを与えていた。一部の熱心なファンは、彼の独特な「鼻にかかった」声に最初は戸惑いつつも、やがてそのユニークな魅力に深く惹きつけられていった。この時期のHELLOWEENは、まだ完成された姿ではなかったかもしれないが、その未完成さが放つ輝きこそが、多くの初期ファンを惹きつける磁力となっていたのである。バンドが初期から「より良いサウンド」を求めていたという事実は、後のマイケル・キスクの加入が、単なるメンバー交代以上の、バンドの音楽的アイデンティティを大きく変える必然的なステップであったことを示唆している。それは、彼らが常に前進し、新たな表現を模索していた証であり、その後のメロディック・パワー・メタルへの進化の伏線となっていたのだ。

II. 煉瓦の壁を打ち破る音:『Walls of Jericho』の残響

1985年12月、HELLOWEENはデビュー・スタジオ・アルバム『Walls of Jericho』をリリースした。このアルバムの録音は、同年9月から10月にかけて、ベルリンのMusiclab Studioで行われた。ミニアルバム『Helloween』がスラッシュメタル色が強かったのに対し、本作では叙情的なメロディを前面に押し出したパワーメタルへと明確に舵を切り、今日「メロディック・パワー・メタル」と呼ばれるジャンルの基礎を築き上げたのである。マイケル・ヴァイカートは、このアルバムの制作に並々ならぬ情熱を注ぎ、自らの仕事を辞めてまでレコーディングに没頭したというエピソードが残っている。この献身的な姿勢は、彼らが単なるバンドではなく、音楽的革新者としての道を歩み始めた証であった。

『Walls of Jericho』は、その革新性をもって市場に迎えられた。ドイツ国内では約11万枚以上の総売上を記録し、アクセプトやスコーピオンズといった当時の人気バンドと肩を並べるほどのヒットとなった。遠く離れた日本のオリコンチャートでも40位にランクインするなど、その影響は国境を越えて広がっていった。この初期の日本での成功は、HELLOWEENの音楽が持つメロディが、日本のリスナーの感性に深く響いた結果であり、後の日本での絶大な人気に繋がる重要な伏線であったと言える。

このアルバムがメタルシーンに与えた影響は計り知れない。特筆すべきは、メタリカのドラマーであるラーズ・ウルリッヒが、ウォッカを片手にスカッシュのラケットをギターに見立てて本作のプレイを真似したという逸話である。これは、新進気鋭のドイツのバンドが、既に世界的な地位を確立しつつあったメタリカのような巨人にまで影響を与えていたという、驚くべき事実を物語っている。まさに、『Walls of Jericho』は、単なる一枚のアルバムではなく、新しいジャンルの誕生を告げる狼煙であり、その後のメタルシーンの方向性を決定づける重要なマイルストーンとなったのだ。

アルバムのジャケットに描かれたハロウィンのマスコット「Fang Face」は、ヴァイカートのアイデアであったが、アイアン・メイデンのマスコット「エディ」との類似性から、後に使用されなくなった。しかし、この「Fang Face」は、カイ・ハンセンがHELLOWEENを離れて結成したガンマ・レイのアルバムで再登場し、現在までその姿を見せ続けている。この事実は、カイ・ハンセンがHELLOWEENを離れた後も、バンドの初期の遺産を大切にしていたことを示しており、後の「Pumpkins United」での再会という奇跡への、遠い布石とも解釈できるだろう。

当時のライブパフォーマンスに関する詳細な記録は少ないものの、アルバム自体が「洗練されていないが、その勢いだけは楽しめる」と評されたように、その生々しいエネルギーと未完成の美学が、初期のファンを熱狂させたことは想像に難くない。特に「Ride The Sky」や「Judas」といった楽曲は、後の「Pumpkins United」ツアーでもメドレーの一部として演奏され、「めちゃくちゃカッコよかった」と高く評価されている。これは、初期の楽曲が持つ本質的な魅力が、時を超えても色褪せないことを証明している。

III. 守護神の扉が開く時:『Keeper of the Seven Keys, Part I』の光

1987年5月23日、HELLOWEENの歴史において最も重要な転換点となるアルバム、『Keeper of the Seven Keys, Part I』がリリースされた。このアルバムは、専任ボーカリストとして18歳のマイケル・キスクを迎えた最初の作品であり、彼のデビュー作となった。カイ・ハンセンは、ボーカルの座をキスクに譲り、ギターに専念することを選んだ。この決断は、カイ自身がツアー中に歌とギターの同時演奏に限界を感じていたことによるものであり、バンドがより複雑でメロディックな楽曲に挑戦するための必然的なステップであった。

キスクのボーカルは、まさに「驚異的」であり、「化け物」とまで評されるほどの表現力を持っていた。彼のハイトーン・ボーカルは、エルヴィス・プレスリー、ボノ、ブルース・ディッキンソンといった、ジャンルを超えた幅広いシンガーから影響を受けており、その多様なルーツが、HELLOWEENの音楽に新たな深みと普遍的な魅力を加えることになった。彼の加入は、単なるメンバーチェンジではなく、バンドの音楽的アイデンティティを根底から変える革命的な出来事であり、このアルバムは、今日「ヨーロピアン・パワー・メタル」と呼ばれるジャンルを創造したアルバムと広く見なされている。

アルバムの制作は、1986年11月から1987年1月にかけて、ドイツ・ハノーバーのHorus Sound Studioで行われた。当初、バンドはPart IとPart IIを一つのダブルアルバムとしてリリースする壮大な構想を抱いていたが、レコード会社がこれを拒否し、別々にリリースするよう主張したという。このレコード会社の意向は、バンドの初期の野心と商業的制約との間の摩擦を示唆しているが、結果としてPart IとPart IIがそれぞれ独立した傑作として評価されたことは、逆説的にバンドの創造性の深さを示している。また、共同ギタリストのマイケル・ヴァイカートが病気であったため、カイ・ハンセンがアルバムの多くの部分で演奏を主導したという背景も、この作品のサウンド形成に影響を与えている。ベーシストのマーカス・グロスコフのベースラインもまた、非常に印象的で、どの楽曲においても際立った存在感を示していた。

『Keeper of the Seven Keys, Part I』は、その音楽的革新性をもって商業的にも大きな成功を収めた。ドイツではゴールド認定(25万枚以上)を達成し、その影響は世界中に波及した。このアルバムは「パワーメタルの始まり」と称され、その圧倒的なスピード感と、心に染み入る「わび・さび」のようなメロディ、そして長く複雑でありながら聴く者を飽きさせない楽曲構成が特徴であった。後のメロディック・スピード/パワー・メタルの雛形となり、ツーバスの疾走ドラム、ツインギター、そして「歌謡曲的」とまで評されるメロディという、このジャンルの共通言語を確立したのである。日本のX JAPANのようなバンドも、HELLOWEEN的な手法を取り入れた可能性が指摘されているほど、その影響は広範囲に及んだ。日本のファンからは、「様式美ロックの栄華、日本におけるメタルの牙城、メロコアの誕生、Burrn!誌の存続……全ては彼らのおかげだ!」とまで評されるほど、日本市場とメタルシーンに計り知れない影響を与え、文化的アイコンとしての地位を確立した。彼らの音楽が持つ「わび・さび」のようなメロディは、日本のリスナーの感性に深く響き、この国での絶大な人気を築き上げる基盤となったのである。

ライブステージにおいても、HELLOWEENは新たな高みへと舞い上がった。「Future World」はシングルとしてリリースされ、ミュージックビデオも制作され、この楽曲や「Twilight Of The Gods」はライブでの「群衆のお気に入り」として定着した。この時期のライブアルバム『Keepers Live』では、マイケル・キスクが歌う「HOW MANY TEARS」の完成度の高さが特に評価されており、彼の圧倒的な歌唱力がライブパフォーマンスに深みと説得力をもたらしていたことが窺える。ライブでは、アルバムで示された圧倒的なスピードと心に染み入るメロディが融合し、観客を熱狂の渦に巻き込んだのである。

IV. 運命の鍵が示す道:『Keeper of the Seven Keys, Part II』の深淵

『Keeper of the Seven Keys, Part I』の成功からわずか一年後の1988年8月1日、HELLOWEENはさらなる傑作、『Keeper of the Seven Keys, Part II』をリリースした。このアルバムは、前作に引き続きハノーバーのHorus Sound Studioで、1988年5月から6月にかけて録音された。この作品は、イントロダクションから「Eagle Fly Free」へのドラマチックな流れ、そして「Rise or Fall」や「Dr. Stein」のようなユーモラスでコミカルな楽曲、さらには「We Got The Right」のようなしっとりとした曲まで、幅広い音楽性を内包しており、「神盤」と評されるにふさわしい構成の美しさを誇っていた。マイケル・キスクがこのアルバムのために唯一作曲したミディアムテンポの曲は、聴く者の心に深く染み入るメロディを持っていた。

このアルバムには、いくつかの奇妙なエピソードが彩りを添えている。表題曲「Keeper of The Seven Keys」のレコーディング中、「Kill the satan」や「Satan’s screaming」という歌詞の歌入れやミックスの途中で、原因不明の轟音、ヘッドフォンの音切れ、スタジオの照明が全て消えるといった怪奇現象が立て続けに起こったという。マイケル・ヴァイカートは、これを「悪魔が怒って妨害したが、善の力でアルバムが完成した」と冗談めかして語ったとされ、この詳細な逸話は『BURRN!』誌1989年1月号に掲載された。このような出来事は、単なる偶然を超えて、作品に宿る神秘的な力を示唆しているかのようであった。

楽曲の輝きは、アルバム全体に散りばめられている。「Save Us」や「I Want Out」は、圧倒的な迫力を持つ疾走曲として、聴く者を惹きつけた。特に「I Want Out」は、バンド最大のヒット曲となり、史上最高のメタルシングルの一つとして今も語り継がれている。この曲のギターソロは、単なるテクニックの披露に留まらず、曲の流れに沿ったメロディを紡ぎ出し、歌の一部として存在しているかのような印象を与えた。また、「Dr. Stein」は、ユーモラスな歌詞とキャッチーなメロディで人気を博し、そのオルガンソロも楽曲に独特の彩りを加えている。アルバムのラストを飾る13分を超える大作「Keeper Of The Seven Keys」は、叙情的なパートが印象的であり、アイアン・メイデンの「Rime of the Ancient Mariner」に匹敵する壮大な物語性を持っている。

『Keeper of the Seven Keys, Part II』は、世界中で成功を収めた。ヨーロッパ、アジア、そしてアメリカでもその人気を確立し、ドイツではゴールド認定、アメリカのBillboard 200では108位を記録した。特に「Eagle Fly Free」は、アルバムのリードチューンとして多くのファンに愛され、パワーメタルの究極のアンセムの一つとしてその地位を確立した。このアルバムは、パワーメタル・ジャンルにおいて「画期的なリリース」として認識され、その後の多くのパワーメタルバンドに多大な影響を与え、彼らの音楽の「教科書」となった。

ライブパフォーマンスにおいても、この時期のHELLOWEENはまさに絶頂期にあった。1987年の初来日公演に関する逸話が「You Always Walk Alone」の背景にあるとされ、当時のライブはマイケル・キスクの「超絶ヴォーカル」が圧巻であった。彼の歌声は驚異的なクオリティを保ち、観客を魅了し続けた。ライブで演奏される「Eagle Fly Free」は、血がたぎるようなスピード感と、印象的なベースソロで観客を熱狂させた。また、「I Want Out」は、そのエネルギーに満ちたパフォーマンスと、観客の大合唱によって、ライブのハイライトとなるアンセムとして確立された。表題曲「Keeper Of The Seven Keys」は、メンバー紹介を含め20分にも及ぶ壮大なライブパフォーマンスが披露されることがあり、その圧倒的なスケールで観客を飽きさせなかった。

『Keeper II』が商業的・批評的にバンドの頂点であった一方で、レコーディング中の怪奇現象や「I Want Out」がカイ・ハンセンの脱退表明と噂されたというエピソードは、成功の裏に潜む不穏な空気と、バンド内の緊張を示唆している。これは、絶頂期にありながらも、内部で亀裂が生じ始めていたという複雑な状況を描き出す。この時期のHELLOWEENは、ユーモラスな曲から叙情的な大作まで幅広い楽曲を収録し、パワーメタルというジャンルを単なるスピードやハイトーンだけでなく、感情の幅広さやエンターテイメント性をも包含するまでに昇華させた。この多様性こそが、多くのファンを惹きつけ、ジャンルの「教科書」とまで言われる所以である。日本のファンが「歌詞の意味を理解していなかった時点でも一度聴いて高校生ながら涙が溢れた」と語る「How Many Tears」のエピソードは、音楽が言語の壁を超えて感情に訴えかける普遍的な力を持っていることを示している。これは、HELLOWEENのメロディが持つ、国境を越えた訴求力の証左である。

V. 嵐の航海:法廷の波と別れの季節

『Keeper of the Seven Keys, Part II』の成功は、HELLOWEENをアメリカ市場へと導いた。彼らはBillboard 200で108位を記録し、Grim ReaperやArmored Saintと共にアメリカツアーを敢行した。MTVのHeadbangers Ball Tourにも招待されるなど、まさに頂点を極めようとしていた 32。しかし、この華々しい成功の裏で、バンドは大きな嵐に巻き込まれていく。

成功の絶頂期にあったHELLOWEENは、アイアン・メイデンもマネジメントしていたSanctuary社の勧めもあり、当時の大手レーベルEMIと契約を試みた 33。しかし、これが旧レーベルのNoise Recordsとの間で契約違反を巡る法廷闘争へと発展し、結果としてバンドの活動は事実上停止に追い込まれた 33。この法廷闘争により、バンドは1989年6月から1992年4月までの間、一切ライブを行えなかったのである 33。この3年近い活動停止期間は、バンドが築き上げてきた全ての勢いを止めてしまい、その後のキャリアに壊滅的な影響を及ぼすことになった。

新アルバム『Pink Bubbles Go Ape』は、1991年春にヨーロッパと日本でリリースされたものの、ドイツを含むその他の地域では法廷闘争のため1992年4月まで遅延した。この頃には音楽シーンの状況が劇的に変化しており、HELLOWEENがスピードメタル路線からハードロック路線へと移行したこともあり、プレスやファンからの反応は冷ややかなものだった。続く1993年のアルバム『Chameleon』では、バンドはパワーメタルを完全に放棄し、実験的なサウンドを追求した結果、批評的にも商業的にも失敗に終わった。このアルバムをプロモーションするためのツアーは悲惨なもので、会場は半分も埋まらず、セットリストが『Chameleon』や『Pink Bubbles Go Ape』の楽曲に偏っていたことも状況を悪化させた。

この困難な時期に、バンド内部の亀裂も深まった。日本での数回の不振なライブの後、ドラマーのインゴ・シュヴィヒテンバーグは薬物乱用と統合失調症による精神状態の悪化を理由に解雇された。さらに、ギタリストのマイケル・ヴァイカートとローランド・グラポウ、そしてボーカリストのマイケル・キスクの間で音楽性の対立が激化し、ツアー後にはキスクの解雇へと繋がった。Noise RecordsはEMIに対する訴訟で勝訴し、多額の和解金を得たものの、この法廷闘争がなければ『Pink Bubbles Go Ape』のようなアルバムは生まれず、カイ・ハンセンも脱退しなかったかもしれないと推測されている。これは、アーティストのキャリアにおいて、ビジネス上の問題がいかに致命的な影響を及ぼし得るかを示す典型的な事例であり、絶頂期にありながらも、外部からの圧力や内部の混乱によってバンドの音楽性が歪められ、本来進むべき道から逸れた「暗黒時代」へと突入したことを強調している。

この嵐の中で、カイ・ハンセンは自らの道を歩み始めた。バンドが人気絶頂期にあった『Keeper of the Seven Keys, Part II』リリースからわずか3ヶ月後の1989年1月、彼はHELLOWEENを脱退した。彼の脱退理由は、過酷なロード生活による「肉体的な問題」(肝臓の疾患など)と、多忙なスケジュールの中で「満足な作曲活動ができない」というクリエイティブな不満であった。これは、彼の脱退が単なる衝動ではなく、自身の健康と芸術的欲求との間で葛藤した結果であったことを示している。脱退後、カイはハンブルグの大学で音楽理論を学び、1990年に新たなバンド「GAMMA RAY」を結成し、デビューアルバム『Heading For Tomorrow』を発表した。GAMMA RAYは、カイがHELLOWEENで追求していたメロディック・スピード/パワーメタル路線を継承し、彼のクリエイティブなビジョンを具現化する場となった。1994年にはボーカルのラルフ・シーパースがJudas Priestのオーディション参加のため脱退し、カイがHELLOWEEN初期以来のボーカルを兼任するようになった。

一方、マイケル・キスクもまた、1993年にメンバーとの「音楽性の対立」を理由にバンドを脱退した。ギタリストのローランド・グラポウとの確執も一因とされている。キスクは脱退後、自身の求める音楽性とメタルシーンが合わないと感じ、一時的にメタルシーンから距離を置いた。1996年にはソロアルバム『インスタント・クラリティ』を発表し、スタンダードなロックやバラードを追求する道を選んだ。このアルバムには、かつての盟友であるカイ・ハンセンもゲスト参加しており、二人の間に残された絆が垣間見えた。2004年には事実上の「ハードロック・シーンからの引退」を宣言するが、その後アヴァンタジア、プラス・ヴァンドーム、そしてユニソニックといったプロジェクトを通じて、彼は徐々にメタルシーンへと復帰していく。特にユニソニックでは、カイ・ハンセンと再び活動を共にし、これが後のHELLOWEEN再結成への重要な足がかりとなった。

カイ・ハンセンの脱退は、HELLOWEENのキャリアを大きく「脱線」させたと評されるほどの影響を与えた。しかし、HELLOWEENはキスク脱退後も、Pink Cream 69の元ボーカル、アンディ・デリスと、元Gamma Rayのウリ・カッシュを迎え、1994年の『Master Of The Rings』で成功裏にカムバックを果たした。このアルバム以降、アンディ加入後のアルバムの中には、日本だけで20万枚以上を売り上げたものもあった。しかし、この時点でメインストリームでの成功の可能性はほぼ失われていた。Gamma Rayはカイ・ハンセンのクリエイティブな避難所として機能し、HELLOWEENが苦難の時期を迎える間も、パワーメタルの旗手として活動を続けた。両バンドは異なる道を歩みながらも、カイという共通のルーツを通じて深く繋がっていたのである。カイ・ハンセンとマイケル・キスクという二人のキーパーソンが、バンドを離れた後もそれぞれの形で音楽と向き合い続けたという事実は、彼らの音楽への情熱が尽きることがなかったことを示している。キスクがユニソニックでカイ・ハンセンと再会し、それがHELLOWEEN復帰への足がかりとなったという事実は、かつての「確執」や「音楽性の対立」が、時間を経て解消され、個人的な絆が音楽的な再結合を可能にしたことを示唆している。これは、人間関係の複雑さと、和解の可能性を象徴する、感動的な物語である。

VI. 再び集うカボチャたち:Pumpkins United、そして現在

マイケル・キスクの脱退後、HELLOWEENは新たな時代を迎えることになった。1994年、Pink Cream 69の元ボーカル、アンディ・デリスが加入し、ドラムには元Gamma Rayのウリ・カッシュが迎えられた。この新しい血の導入により、バンドは再び息を吹き返し、1994年の『Master Of The Rings』で成功裏にカムバックを果たした。アンディ・デリスは、そのテクニックとシャウトを特徴とするボーカルスタイルで、HELLOWEENに新たな音楽的側面をもたらし、特に日本市場ではアンディ加入後のアルバムで20万枚以上を売り上げたものもあった。これは、バンドが困難な時期を乗り越え、新たなファン層を獲得しつつ、特定の市場で確固たる地位を築いたことを示している。

そして、2016年11月、世界中のメタルファンを歓喜させる「電撃復帰」のニュースが飛び込んできた。カイ・ハンセンとマイケル・キスクがHELLOWEENに復帰し、総勢7人編成でのワールド・ツアー<Pumpkins United>が発表されたのである。これは、キスクにとっては約24年ぶり、カイにとっては約28年ぶりのHELLOWEENへの「帰還」であった。キスクは、約2年前に偶然HELLOWEENとステージを共にした際に、お互いに「ネガティヴな感情を抱いていない」ことに気づき、共通の友人であるカイ・ハンセンを介して話し合いを重ねた結果、バンド結成30周年という節目も相まって、この歴史的な復帰へと至ったと語っている。当初は期間限定の復帰と思われていたが、キスク自身が「バンドメンバーの仲がとても良好で、このままツアーだけで終わるのはもったいない」と感じ、「ヘヴィメタルに対する恐怖が完全に無くなった」と語ったことで、この再会は単なるノスタルジーに終わらず、恒久的なものへと発展していった。

<Pumpkins United>ツアーは2017年10月28日のブラジル・サンパウロ公演を皮切りに、南米、ヨーロッパ、アジア、北米と世界中を巡った。このツアーは、単なる過去の栄光の再現ではなく、カイ(ギター、ボーカル)、キスク(ボーカル)、アンディ(ボーカル)の3人のボーカリストと、カイ、ヴァイカート、サシャ・ゲルストナー(ギター)の3人のギタリストという、まさに「死角がひとつもない」編成で、過去最高のパワーメタル・マシンと化したHELLOWEENの姿を見せつけた。

2018年には、この7人体制での完全新曲「Pumpkins United」がシングルとして発表された。この楽曲は、カイ、アンディ・デリス、マイケル・ヴァイカートの共作であり、この3人での共作は史上初という、バンドの新たなコラボレーションの象徴となった。歌詞には過去のHELLOWEENの曲名が散りばめられ、「HELLOWEENの歴史を総括するような大傑作」と評された。これは、単なる新曲ではなく、バンドの過去と現在、そして未来を繋ぐ、祝祭的な意味合いを持つ楽曲であった。

この7人編成での活動は、ライブパフォーマンスにおいても最高の評価を得ている。最近リリースされたライブアルバム『Live at Budokan』は、Amazonのヘヴィメタル部門でベストセラー1位を記録し、「最高のライブ映像」「画質も音声も綺麗」「音に厚みがあり、声量も迫力がある」と絶賛されている。特に、カイ、アンディ、マイケルのトリプルボーカルとトリプルギターが織りなすサウンドは「音に厚みがあり、迫力がある」と高く評価され、観客の「オイ!オイ!」という熱い歓声が、ライブの熱気をそのまま伝えている。マイケル・キスクのボーカルは、50歳を超えても「30年前とまったく変わらぬ驚異の歌声」と評され、そのパフォーマンスは「圧倒的」であり、「衰えとは無縁」であることが証明された。マーカス・グロスコフのベースとダニ・ルブレのドラムが織りなす「秀逸なグルーヴ感」も、バンド全体の演奏を支えている。

2021年には、この7人編成で制作されたセルフタイトル・アルバム『Helloween』がリリースされた。このアルバムは、キスクの伸びやかな高音による「圧倒的な高揚感を伴った、流麗なハロウィン節の復活」と、アンディ期楽曲アプローチの肯定、そして実力派ボーカリスト2人を活用した「ツインボーカルの効果的アレンジ」が成功の鍵とされている。これは、過去の栄光に安住することなく、バンドが新たな創造性を追求し、進化し続けていることを示している。この「Pumpkins United」の時代は、HELLOWEENが過去の栄光を再構築し、新たな高みへと到達した「第二の全盛期」であり、あるいは「過去最高のパワーメタル・マシン」とまで言えるだろう。彼らは、長い旅路の末に、ついに理想的な「カボチャの守護神たち」の姿を見つけたのである。

VII. 結論:時を超え、輝き続けるカボチャの魂

HELLOWEENの物語は、単なる一つのバンドの歴史ではない。それは、ドイツのハンブルグで蒔かれた小さなカボチャの種が、幾多の嵐と苦難を乗り越え、世界中にその実をつけ、ヘヴィメタルという広大な森の中に、メロディック・パワー・メタルという新たな森を築き上げた、壮大な叙事詩である。

彼らの軌跡は、初期のカイ・ハンセンによる荒削りながらも情熱的なスピードメタルから始まり、『Walls of Jericho』でメロディック・パワー・メタルの礎を築いた。そして、マイケル・キスクの加入によって『Keeper of the Seven Keys, Part I & II』という二つの金字塔を打ち立て、このジャンルを世界中に知らしめた。これらのアルバムは、その圧倒的なスピード、心に響くメロディ、そして複雑な楽曲構成によって、後の無数のバンドに影響を与え、特に日本では「メタルの牙城」を築く原動力となった。

しかし、成功の絶頂期には、Noise Recordsとの法廷闘争という予期せぬ嵐がバンドを襲った。この訴訟は、バンドの活動を停止させ、勢いを失わせ、カイ・ハンセンとマイケル・キスクという二人のキーパーソンの脱退という、痛ましい結果を招いた。カイはGamma Rayという新たな創造の場を見つけ、キスクはメタルシーンから一時距離を置くなど、それぞれの道を歩んだ。この時期は、バンドにとっての「暗黒時代」であり、ビジネス上の問題がアーティストのキャリアにいかに致命的な影響を及ぼし得るかを示す、苦い教訓となった。

だが、HELLOWEENの魂は、決して途絶えることはなかった。アンディ・デリスの加入と、その後の『Master Of The Rings』での成功は、バンドが困難を乗り越え、再び立ち上がる強靭な意志を持っていたことを証明した。そして、2016年、カイ・ハンセンとマイケル・キスクの「奇跡の帰還」によって、HELLOWEENは<Pumpkins United>という新たな章を開いた。これは、単なるノスタルジーではなく、過去のメンバーと現在のメンバーが融合し、3人のボーカリストと3人のギタリストが織りなす、まさに「死角のない」最強の布陣である。彼らは、最新アルバム『Helloween』やライブアルバム『Live at Budokan』で、その健在ぶりと進化を世界に示し、批評的にも商業的にも成功を収めている。

HELLOWEENの物語は、創造と破壊、そして再生の繰り返しである。彼らは、音楽性の探求、メンバー間の葛藤、そして外部からの圧力といった様々な試練に直面しながらも、常に前進し、自らを再定義してきた。そして今、彼らは過去の全てを受け入れ、最高の形で現在を生きている。HELLOWEENは、単なるヘヴィメタルバンドではなく、不屈の精神と、時を超えて輝き続けるメロディックな魂を体現する、真の「カボチャの守護神たち」なのである。彼らの疾走する軌跡は、これからも多くのメタルファンに希望と感動を与え続けるだろう。

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