序章:バーミンガムの風の歌を聴け — 鋼鉄の夜明け
ある種の物語は、いつも風の歌から始まる。バーミンガムの曇り空の下、1969年、ジューダス・プリーストという名のバンドが静かに産声を上げた。それはまだ、後の「鋼鉄の神」の姿からはほど遠い、ブルースロックの影を引きずる、曖昧な輪郭を持った存在だった。
バンドはアル・アトキンスをヴォーカルに据え、ボブ・ディランの楽曲「The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest」からその名を得たという。しかし、初期のメンバーは流動的で、ギターのジョン・ペリーが若くして亡くなるという悲劇も経験している。バンドの骨格が形成され始めたのは、1970年にK.K.ダウニングがギター、イアン・ヒルがベースとして加入してからだった。しかし、この時期のドラマーは安定せず、初期のアルバムでは頻繁に交代を繰り返していたのである。
決定的な転換点は、1973年5月に訪れた。バンドの厳しい財政状況と相次ぐメンバーの脱退に耐えかねたアトキンスとドラマーのクリス・キャンベルが去った後、イアン・ヒルのガールフレンドの兄であるロブ・ハルフォードがヴォーカルとして加入したのだ。この瞬間が、後に「メタル・ゴッド」と呼ばれる存在の誕生を告げる、静かな、しかし確かな始まりだった。
1974年にリリースされたデビューアルバム『Rocka Rolla』は、まだバンドの「らしさ」が確立されておらず、CreamやBlack Sabbathを模倣したヘヴィ・ブルース・ロックの範疇にあった 3。当時の彼らのステージ衣装は、後の革とスタッズに身を包んだ「鋼鉄の神」のイメージとは大きく異なり、全員がベルボトムを穿いていたというから、時代の風はまだ別の方向を向いていたのかもしれない 4。
それでも、バンドはイギリス各地での地道なライブ活動を精力的に続け、少しずつ、しかし着実にファンベースを拡大していった。初期のライブハウスでは、ファンがビールを投げつけるような激しい反応もあったという逸話も残されており、その熱狂の片鱗を今に伝えている。そして1978年には、初の日本公演を成功させ、東京や大阪で熱狂的なファンを獲得するに至った。それは、遠い東の島国に、彼らの音の種が蒔かれた瞬間でもあった。
彼らのサウンドは、ブルースロックの影響を残しつつも、鋭利でソリッドなギター・リフとハイトーン・ヴォーカル、そして革新的なビジュアル・スタイルを特徴としていく。初期の楽曲には、クイーンや10ccのようなコーラスワーク、フレディ・マーキュリーを思わせるピアノの導入など、多様な音楽的要素が見られたという。しかし、何よりも注目すべきは、2本のギターによるリフやツインギターソロが当時としては非常に新鮮で、それまでのウィッシュボーン・アッシュのような従来のツインギターサウンドとは一線を画していた点だろう。それは、彼らが新たな音の地平を切り開こうとしている兆しだった。
ジューダス・プリーストは、Black Sabbathが築いた「ヘヴィネス」をさらに推し進め、ブルージーな要素を音楽から削ぎ落とし、より速い方向へと進化させた 9。そして何よりも、彼らは自らを「ヘヴィメタルバンド」であることを誇りに思い、革の衣装やステージ上のバイクといった、後のメタルの文化を形成する上で決定的な貢献を果たしたのである 9。彼らは単にヘヴィな音楽を演奏するだけでなく、「ヘヴィメタル」というジャンルそのものの「型」を提示し、その文化を築き上げた。この戦略的な自己定義と文化への貢献が、彼らが単なるバンドではなく、ジャンル全体のアイコン、「メタル・ゴッド」となる基盤を築いたと言えるだろう。彼らの存在が、NWOBHMムーヴメントが世界中に広がるきっかけの一つとなったことは、決して偶然ではない。
バンドの核となるメンバー、イアン・ヒルは1970年から現在に至るまでベースを担当し、バンドの不動の土台となっている。K.K.ダウニングも1970年から2011年までギターを務め、グレン・ティプトンは1974年に加入し、ツインギターの黄金時代を築いた。ロブ・ハルフォードの加入は、バンドの音楽性を決定づける上で不可欠だった。彼の高音域を駆使したシャウトと、時に低音で聞かせる表現力は、イアン・ギランからの影響も感じさせつつ、唯一無二のヴォーカルスタイルを確立していったのである。
初期のメンバー流動性は、バンドが明確な音楽的アイデンティティを確立するのを困難にさせた可能性がある。特にドラマーが頻繁に交代していた時期は、バンドのサウンドがまだ定まっていなかったことを示している。しかし、ロブ・ハルフォード、K.K.ダウニング、グレン・ティプトンの主要なラインナップが揃って初めて、彼ら独自の鋭利なリフ、ハイトーン・ヴォーカル、革新的なビジュアルといったサウンドへの移行が本格化したと考えられる。この初期の模索期間は、後の鋼鉄のサウンドを「発明」するための必要な助走期間だったと言えるだろう。バンドの創造的進化は、単なる個々の才能の集合ではなく、安定した人間関係と化学反応によって深く影響されることを、彼らの歴史は物語っている。
NWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)の勃興期において、ジューダス・プリーストは自らを「ヘヴィメタル」と明確に定義し、その音楽性(ブルースからの脱却、スピード化)と視覚的イメージ(革とスタッズ、バイク)を統一した。これは、70年代の不況で職を失った若者たちが、音楽を通じて主流社会から分離したコミュニティを形成したNWOBHMの現象と深く結びついている。彼らは単にヘヴィな音楽を演奏するだけでなく、「ヘヴィメタル」というジャンルそのものの「型」を提示し、その文化を築き上げた。この戦略的な自己定義と文化への貢献が、彼らが単なるバンドではなく、ジャンル全体のアイコン、「メタル・ゴッド」となる基盤を築いたのである。彼らの存在が、NWOBHMムーヴメントが世界中に広がるきっかけの一つとなったことは、決して偶然ではない。
Judas Priest メンバー変遷
| メンバー名 | 在籍期間 | 担当楽器 | 備考 |
| イアン・ヒル | 1970–現在 | ベース | バンドの不動の土台 |
| グレン・ティプトン | 1974–現在 | ギター | 2018年よりパーキンソン病のためツアー活動は限定的 |
| ロブ・ハルフォード | 1973–1992, 2003–現在 | リードヴォーカル | 「メタル・ゴッド」の愛称で知られる |
| スコット・トラヴィス | 1989–現在 | ドラム | 『Painkiller』以降のサウンドを決定づけた |
| リッチー・フォークナー | 2011–現在 | ギター | K.K.ダウニング脱退後の新ギタリスト |
| アンディ・スニープ | 2018–現在 | ギター (サポート) | グレン・ティプトンの代役、プロデューサー |
| K.K.ダウニング | 1970–2011 | ギター | 創設メンバーの一人、2011年脱退 |
| アル・アトキンス | 1969–1973 | リードヴォーカル | バンド初期のヴォーカル |
| デイヴ・ホーランド | 1979–1989 | ドラム | 『British Steel』から『Ram It Down』まで在籍 |
| ティム”リッパー”オーウェンズ | 1996–2003 | リードヴォーカル | ロブ・ハルフォード不在時のヴォーカル |
音の迷宮と光:主要アルバムが描く風景
音の迷宮を彷徨い、時に光を見出す。ジューダス・プリーストのアルバムは、まるで古い地図のようだ。一枚一枚が、彼らが歩んできた道のり、その時々の風景、そして彼らの心象風景を鮮やかに描き出している。
ジューダス・プリーストの楽曲は、単なる音の羅列ではない。それは、聴く者の魂を揺さぶり、時に時代を切り裂く刃となる。彼らの長いキャリアの中で、多くの曲がアンセムとして愛されてきた。特に「Breaking the Law」「Living After Midnight」「Electric Eye」「Painkiller」「You’ve Got Another Thing Comin’」「The Hellion」「Night Crawler」「Turbo Lover」「Metal Gods」「Hell Bent for Leather」「Victim of Changes」「The Ripper」「Exciter」「Diamonds and Rust」「The Sentinel」などは、彼らのライブを彩り、多くのファンに歌い継がれてきた代表的な楽曲である。これらの楽曲は、時にシンプルでキャッチーなリフで、時に複雑でドラマティックな展開で、ヘヴィメタルの多様な可能性を示してきた。
『British Steel』:英国の魂、世界へ響く音の風景 (1980)
このアルバムは、彼らが「ヘヴィメタル」というジャンルの輪郭を決定的に定めた記念碑的作品だ 7。ブルース要素を完全に払拭し、よりソリッドで直接的なサウンドへと舵を切ったのである。
レコーディングは、リンゴ・スターが所有していたバークシャーのアスコットにあるスタジオで行われたという。かつてジョン・レノンも住んでいた場所であり、メンバーはそこで得たインスピレーションを語っている。このアルバムからデイヴ・ホーランドがドラマーとして加入し、彼は1980年代を通じてバンドに在籍することとなる。驚くべきことに、アルバムの約60%しか曲が完成していない状態でスタジオ入りするという異例の状況だったが、その場で「The Rage」や「Living After Midnight」といった曲が生まれたという。この偶発性が、アルバムに新鮮さをもたらしたのかもしれない。
現代のサンプリング技術がない時代、彼らは音作りに創意工夫を凝らした。「Metal Gods」では引き出しの中でカトラリーを揺らし、「Breaking the Law」では牛乳瓶を叩き割る音を使い、やかんの音をカウベルのように使ったという逸話も残る。こうしたアナログな手法が、独特の質感を生み出したのだろう。アルバム発売前には、マスターテープが盗まれ身代金を要求されたという偽のPR記事が流されたが、これはバンドのパブリシストが仕組んだもので、結果的にバンドの知名度を上げたというから、メディア戦略においても彼らは先駆的だった。
『British Steel』は、NWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)の象徴的な作品の一つとなり、その速度、層の厚さ、そして感染力は当時の他のどのバンドのアルバムをも凌駕し、現代ヘヴィメタルの主要な源流となった。未完成でのスタジオ入りは、バンドに即興性と実験性を強いた結果、既存の枠に囚われないサウンド(日用品の使用)を生み出した。これは、彼らがヘヴィメタルをよりシンプルでキャッチーな「アンセム」へと昇華させる創造的な突破口となった。同時に、偽のPRは、彼らが音楽性だけでなく、メディア戦略においても革新的であったことを示唆しており、これがアルバムの商業的成功とジャンルへの影響を加速させたのである。『British Steel』は、単なる音楽作品に留まらず、サウンドプロダクション、楽曲構成、そしてマーケティング戦略が一体となって、ヘヴィメタルというジャンルの「フォーマット」を確立した画期的なアルバムであったと言える。
このアルバムからの楽曲は、ライブで圧倒的な存在感を発揮した。特に「Breaking the Law」や「Living After Midnight」は、観客との一体感を高めるアンセムとして定着した。2009年には、この名盤を完全再現するツアーも行われ、そのライブDVDもリリースされている。最近のライブでも、「Rapid Fire」や「Breaking the Law」はセットリストの序盤に配置され、会場のテンションを一気に引き上げる役割を担っている。ただし、一部の評論家からは、このアルバムが「単純化されすぎている」「商業的すぎる」といった批判もあったという。
『Screaming for Vengeance』:復讐の叫び、アメリカを揺るがす波紋 (1982)
前作『Point of Entry』が商業的に振るわなかった後、バンドがヘヴィメタルへの回帰を誓い、渾身の魂をぶち込んだ作品がこれだった。
このアルバムは、ジューダス・プリーストの北米でのブレイクスルーとなった。MTVの開局ブームにも乗り、ミュージックビデオが頻繁に放送されたことで、彼らはアメリカでスーパースターバンドとなったのである。アルバムはダブルプラチナを獲得し、世界中で500万枚以上を売り上げたというから、その影響力は計り知れない。
「The Hellion」という叙情的なインストゥルメンタルから名曲「Electric Eye」の印象的なギターリフへと続くオープニングは、後の様々なメタルバンドに大きな影響を与えた。アルバムの制作過程で、バンドは当初完成形で満足していたが、レコーディング終盤に「You’ve Got Another Thing Comin’」という曲を追加した。この曲は、当初はアルバムの後半に埋もれた存在だったが、結果的に大ヒットシングルとなり、バンドを世界的な地図に載せる決定打となったのである。前作の反省から、バンドは意図的にヘヴィネスとキャッチーさのバランスを取り戻そうとした。その中で、「You’ve Got Another Thing Comin’」のような、当初は軽視されていた楽曲が、市場のニーズと偶然に合致し、予期せぬ商業的成功をもたらした。これは、バンドが自らの音楽性を再評価し、ヒットの可能性を柔軟に捉え、適応する能力を持っていたことを示している。この「偶然のヒット」は、バンドが単なるヘヴィメタルの先駆者であるだけでなく、時代の潮流を捉え、商業的な成功も収めることができる多面性を持っていたことを証明した。それは、ヘヴィメタルがニッチなジャンルに留まらず、メインストリームにも食い込める可能性を示した重要な事例となったのだ。
「Riding On The Wind」のような疾走感溢れる曲は、スコット・トラヴィス加入以前のライブでもその真価を発揮し、観客を熱狂させた 14。このアルバムからの楽曲は、ライブでその技術的な熟練度と、観客を巻き込むエネルギーを遺憾なく発揮した 29。
『Defenders of the Faith』:鋼鉄の守護者たち、その背徳の美学 (1984)
『Screaming for Vengeance』の成功を受け、その路線をさらに推し進めたアルバムであり、バンドの絶頂期を象徴する作品の一つである。
前作同様、プロデューサーにトム・アロムを迎え、イビサ島で制作された。1983年のUSフェスティバルでヴァン・ヘイレンらと共演し、35万人を動員した経験の後、バンドは「巨大なメタルバンプ」を感じながらスタジオに戻ったという。アルバムは「Freewheel Burning」のようなペダル・トゥ・ザ・メタルなオープニングから始まり、全体が前作の青写真を忠実に踏襲している。
このアルバムに収録された「Eat Me Alive」という楽曲が、Parental Music Resource Center (PMRC) によって「Filthy Fifteen」(汚れた15曲)の一つに挙げられ、歌詞の性的な内容が問題視された。これに対し、バンドは次作で「Parental Guidance」という曲で痛烈な皮肉を込めた反論をしている。ロブ・ハルフォードは「Eat Me Alive」がS&Mへの賛歌であり、パブから帰ってきて「完全にぶっ飛んだ」状態で書いたと語っているから、その当時の彼らの心境が垣間見えるようだ。商業的には前作ほどの大ヒットにはならず、ロブ・ハルフォードは「十分なシングルがなかった」と認めている。
このアルバムからの楽曲は、ライブでその真価を発揮した。特に「Freewheel Burning」や「The Sentinel」は、そのスピードと力強さで観客を圧倒した。当時のライブは「炎を吐く」ようなパフォーマンスで、ロブ・ハルフォードの歌唱も「圧倒的」と評されている。音質も良好で、バンドの生々しいエネルギーが伝わるライブ音源が残されているという。
『Ram It Down』:時代を駆け抜ける衝動、そして実験の痕跡 (1988)
前作『Turbo』でシンセサイザーを導入し賛否両論を巻き起こした後、よりヘヴィなサウンドへの回帰を目指したアルバムが『Ram It Down』だった。
元々は『Twin Turbos』というダブルアルバム構想の一部で、よりメロディックなハードロックとヘヴィなサウンドの二面性を打ち出す予定だったが、レコード会社の反対により『Turbo』と『Ram It Down』の2枚に分かれたという経緯がある。このアルバムはトム・アロムがプロデューサーを務めた最後のスタジオアルバムとなった。
チャック・ベリーの「Johnny B. Goode」をカバーし、映画のサウンドトラックにも収録された。このカバー曲は、打ち込みドラムの音が目立ち、ポップに聞こえるという意見もあった。ドラムの音が「ポコポコと打ち込みリズム」で「機械的」に聞こえるという批判もあり、デイヴ・ホーランドの貢献が不明瞭であるという指摘もされた。当時の評価は賛否両論で、「物凄くハード過ぎて、普通に聴ける範疇を超えていた」と感じるリスナーもいた一方で、その「徹底的にわかりやすいタイトルと攻撃性」にキャッチーなメロディラインが加わった「爽快な一枚」と評する声もあった。しかし、全体的には「マンネリ化している」「個性に欠ける」といった批判も多く、商業的にも成功したとは言えなかった。
このアルバムからは、「Ram It Down」や「Heavy Metal」などがライブで演奏されたが、他のアルバムの楽曲ほど頻繁にセットリスト入りすることはなかった。特に「Ram It Down」は『Painkiller』の予行演習のような速さと激しさを持っていたが、ライブではその「真の情熱とエネルギー」が欠けていたという評価もある。
『Painkiller』:痛みを貫く鋼鉄の刃、新たな時代の幕開け (1990)
このアルバムは、ジューダス・プリーストのキャリアにおける最も劇的な転換点であり、彼らを「鋼鉄の神」の座に再び押し上げた傑作である。
1989年にスコット・トラヴィスがドラマーとして加入し、バンドのサウンドに革命をもたらした。彼のダブルキックを多用したドラミングは、バンドに新たなヘヴィネスとスピードを与え、スラッシュメタルの影響も感じさせるものとなった。アルバムは、タイトル曲「Painkiller」のスコット・トラヴィスによる壮絶なドラムイントロから始まり、ロブ・ハルフォードの「これまでになく邪悪な」スクリーム、グレンとK.K.の破壊的なリフが畳み掛ける。このオープニングは、聴く者に「予測不能な展開」と「聴いたことのない音楽」という衝撃を与えたという。スコット・トラヴィスは、この象徴的なドラムイントロが高い評価を得ていることに「感謝感激している」と語っている。アルバムのリリースは、後述するサブリミナルメッセージ裁判のため、一時的に延期されたという。
『Painkiller』に伴うツアーは、北米、ヨーロッパ、オセアニア、南米を巡る大規模なもので、合計111公演が行われた。このツアーでは、新曲が当初5曲ほどセットリストに入っていたが、観客の反応が悪く、すぐに2〜3曲に減らされたというエピソードがある。これは、当時のファンにとって『Painkiller』が「ヘヴィネス過多でハードなエッジが効き過ぎていた」ため、すぐに馴染めなかったことを示している 48。ファンはむしろ「You’ve Got Another Thing Comin’」や「Living After Midnight」といったヒット曲を求めていたのである。
スコット・トラヴィスの革新的なドラミングは、バンドに新たな音楽的推進力をもたらし、『Painkiller』を前衛的な作品へと押し上げた。しかし、この劇的な変化は、長年のファン層との間に一時的な乖離を生じさせた。バンドが自らの音楽的限界を押し広げた結果、一部のリスナーがその変化に追いつけなかったという状況が生まれたのである。これは、ベテランバンドが革新を追求する際に直面する普遍的なジレンマを示している。しかし、時が経つにつれて『Painkiller』が「史上最高のアルバム」の一つとして再評価されたことは、真に革新的な作品は、発表時には理解されなくとも、最終的にはその価値が認められるという芸術の法則を示唆している。
しかし、時を経て『Painkiller』はライブのハイライトとなり、特にタイトル曲はスコットのドラムソロから始まる定番曲となった。ロブ・ハルフォードのヴォーカルは、スタジオ盤の「狂気じみた」パフォーマンスをライブで完全に再現するのは困難とされたが、それでも圧倒的な迫力で観客を魅了し続けた。最近のライブでも、「Painkiller」でのロブのハイトーンは健在で、リッチーとアンディのギターソロも完璧に楽曲を支えている。
Judas Priest 主要アルバムと代表曲
| アルバム名 (日本語/英語) | リリース年 | 代表曲 (一部) | 簡潔な特徴 (音楽性、影響、エピソードなど) |
| ロッカ・ローラ (Rocka Rolla) | 1974 | Rocka Rolla | ブルースロック色が強く、後のスタイルは未確立。 |
| 運命の翼 (Sad Wings of Destiny) | 1976 | Victim of Changes, The Ripper | プログレッシブな要素とメタル的様式美への移行期。 |
| 背信の門 (Sin After Sin) | 1977 | Diamonds and Rust, Sinner | カヴァー曲の成功と、よりヘヴィな方向性への傾倒。 |
| ステンド・クラス (Stained Class) | 1978 | Exciter, Beyond the Realms of Death | リフ主体のモダンヘヴィメタルの原型を提示。 |
| 殺人機械 (Killing Machine) | 1978 | Hell Bent for Leather, Delivering the Goods | レザーファッション確立。キャッチーさと攻撃性の融合。 |
| ブリティッシュ・スティール (British Steel) | 1980 | Breaking the Law, Living After Midnight, Metal Gods | ヘヴィメタルのフォーマットを確立した金字塔。 |
| 黄金のスペクトル (Point of Entry) | 1981 | Heading Out to the Highway | アメリカ市場を意識したポップな路線で賛否両論。 |
| 復讐の叫び (Screaming for Vengeance) | 1982 | Electric Eye, You’ve Got Another Thing Comin’, Riding On The Wind | 北米でのブレイクスルー作。疾走感とメロディの融合。 |
| 背徳の掟 (Defenders of the Faith) | 1984 | Freewheel Burning, The Sentinel, Love Bites | 前作の路線を深化させ、バンドの絶頂期を象徴。 |
| ターボ (Turbo) | 1986 | Turbo Lover, Locked In | シンセサイザーを大胆導入し、ファン層を二分。 |
| ラム・イット・ダウン (Ram It Down) | 1988 | Ram It Down, Blood Red Skies, Johnny B. Goode | よりヘヴィなサウンドへの回帰を試みるも、打ち込みドラムが議論に。 |
| ペインキラー (Painkiller) | 1990 | Painkiller, Hell Patrol, Night Crawler | スコット・トラヴィス加入で高速・攻撃的サウンドへ劇的変化。 |
| ジャギュレイター (Jugulator) | 1997 | Jugulator, Bullet Train | ロブ・ハルフォード脱退後、ティム・オーウェンズ加入作。 |
| デモリション (Demolition) | 2001 | Machine Man, Cyberface | ティム・オーウェンズ期の2作目。 |
| エンジェル・オブ・リトリビューション (Angel of Retribution) | 2005 | Judas Rising, Revolution | ロブ・ハルフォード復帰作。王道メタルへの回帰。 |
| ノストラダムス (Nostradamus) | 2008 | Nostradamus, Prophecy | コンセプトアルバム。シンフォニックな要素を導入。 |
| リディーマー・オブ・ソウルズ (Redeemer of Souls) | 2014 | Redeemer of Souls, Halls of Valhalla | K.K.ダウニング脱退後初のアルバム。 |
| ファイアパワー (Firepower) | 2018 | Firepower, Lightning Strike | 往年の攻撃性と現代的なプロダクションの融合。 |
| インヴィンシブル・シールド (Invincible Shield) | 2024 | Panic Attack, Crown of Horns, Invincible Shield | 50周年を飾る最新作。ベテランの円熟と勢いを両立。 |
嵐の時代、そして再誕:離別と回帰の物語
人生には、誰もが予期せぬ嵐に巻き込まれる時期がある。それは、まるで砂漠をさまよう旅のように、長く、そして孤独なものだ。ジューダス・プリーストもまた、そんな嵐の時代を経験し、そして再び、光の差す場所へと回帰した。
法廷の影:サブリミナルメッセージ裁判の波紋
1990年、バンドはネバダ州リノで起きた2人の若者の自殺未遂事件を巡る民事訴訟に巻き込まれた 51。原告側は、バンドの1978年のカバー曲「Better by You, Better than Me」に「Do it」というサブリミナルメッセージが隠されており、それが自殺を誘発したと主張したのである。
この裁判は音楽業界と憲法学者から大きな注目を集めた。ロブ・ハルフォードは法廷で、「もしバンドがサブリミナルな命令を音楽に挿入する気があるなら、ファンに自殺を命じるようなメッセージは全く逆効果だ。バンドの視点からすれば、『レコードを買え』という命令を挿入する方がはるかに実用的だろう」とコメントし、この主張の不条理さを訴えた。神経科学者やレコードプロデューサーも証言し、高品質なマルチトラックレコーディングに意図的にサブリミナルメッセージを埋め込むことの困難さを指摘したという。
結果的に、裁判はバンド側の勝訴に終わり、サブリミナルメッセージが自殺の原因ではないと認定された。しかし、バンドは約25万ドルの訴訟費用を負担し、CBSレコードもディスカバリー命令に従わなかったため4万ドルを支払うことになったという。この裁判は、バンドに経済的・精神的な負担をかけた一方で、そのセンセーショナルな内容が一般メディアでも報じられたことで、ヘヴィメタルに馴染みのない層にも「Judas Priest」という名前が知れ渡るきっかけとなった。これは、バンドにとって意図せざる「プロモーション」となり、結果的に新たなファン層の獲得に繋がった可能性がある。コメディアンのビル・ヒックスもこの裁判をネタにし、「どのパフォーマーが自分の観客に死んでほしいと思うんだ?」と問いかけたという。この事件は、ポピュラー音楽が社会の不安や道徳的パニックの標的となりやすいという現象を浮き彫りにしただけでなく、アーティストが表現の自由を守るために闘う必要性を示し、後の音楽業界における検閲問題に対する重要な判例となったのである。
ロブ・ハルフォードの旅立ちと、長い不在の理由
サブリミナルメッセージ裁判の直後、そして『Painkiller』の成功の頂点にあった1992年、ロブ・ハルフォードはジューダス・プリーストを脱退するという衝撃的な決断を下した。
彼の脱退は、ソロプロジェクトを巡る他のメンバーとの対立が主な理由とされているが、ロブ自身は「自分探しの旅に出ていたようなものだ」と後に語っている。彼は「家族のもとに戻る大切さを実感するために、しばらく家を離れることが必要なときもある。僕にとってはそういうことだった」と、その心境を明かした。ロブの脱退は、単なるビジネス上の対立だけでなく、彼自身の内面的な成長と、バンドという「家族」からの距離を置く必要性から生じたものだったのかもしれない。
脱退後、彼はFIGHTやHALFORDといったバンドを結成し、自身の音楽性を追求した。特にHALFORDのファーストアルバム『Resurrection』は、王道のメタルサウンドへの回帰として絶賛され、彼自身の「復活」を宣言するような作品となった。このアルバムは、かつてジューダスを聴いていたが離れていたファンにも強く推奨される傑作と評価されている。
鋼鉄神の帰還:運命の再会と新たな夜明け
2003年、ロブ・ハルフォードは11年間の不在を経て、ジューダス・プリーストへの復帰を発表した。
復帰の経緯は、非常に「イギリス的」だったとロブは語る。マネージメントにバンドへの復帰を望む手紙を送り、その後、メンバーとの再会は「大騒ぎすることなく」非常に簡潔に行われたという。彼の復帰後、バンドは『Angel of Retribution』(2005)、『Nostradamus』(2008)、『Redeemer of Souls』(2014)、『Firepower』(2018)、そして最新作『Invincible Shield』(2024)といったアルバムをリリースし、再び精力的な活動を開始した。
特に『Firepower』と『Invincible Shield』は高い評価を受け、70歳を超えたロブ・ハルフォードのヴォーカルは「若返ったような驚異的な咆哮」と評され、「ベテランのヘヴィメタルバンドがたどり着ける一つの境地」を示している。彼の歌唱は、もはや技術に頼るだけでなく、曲そのものの魅力が高まっているという。ロブの復帰は、単にボーカリストが戻ったというだけでなく、バンドがその「魂」を取り戻したことを意味した。これは、多くのファンにとって、失われたものが再び手に入るという希望を与え、バンドの「復活」という物語をより感動的なものにした。また、ベテランバンドが長期にわたる活動の中で直面する人間関係の課題と、それを乗り越えることの重要性を示唆している。
継承される魂、現在の地平:K.K.、グレン、そしてBabyMetalとの邂逅
風は常に新しい物語を運んでくる。鋼鉄の魂は、世代を超え、国境を越え、時に予期せぬ形でその姿を変えながら、脈々と受け継がれていく。ジューダス・プリーストの物語もまた、新たな章へと進んでいる。
K.K.ダウニングの選択:もう一つの鋼鉄の道、K.K.’s Priest
2011年、創設メンバーの一人であるK.K.ダウニングが、ツアー直前にジューダス・プリーストからの脱退を発表し、ファンに大きな衝撃を与えた。当初は「リタイア」という言葉が使われたが、K.K.自身は「長い間ずっと、俺とバンド、マネージメントとの仕事上の関係は崩壊していた」ため、「ネガティヴな感情を持ちながらツアーをやるより、やめることを決めた」と脱退の理由を明かしている。健康上の問題ではないと強調したという。彼は、特定のアルバムのプロデュースに不満があったことも脱退の理由の一つだと述べている。
2020年、K.K.は元ジューダス・プリーストのティム”リッパー”オーウェンズやレス・ビンクスらと共に新バンド「K.K.’s Priest」を結成した。K.K.’s Priestは、デビューアルバム『Serpents of the Sinner』をリリースし、ジューダス・プリーストの楽曲も演奏するライブ活動を行い、長年のファンを大いに喜ばせた。彼らは「メタルというジャンルを守り続ける」というコンセプトを掲げ、2ndアルバム『The Sinner Rides Again』もリリースしている。K.K.の脱退は、バンド内部のビジネス的・個人的な不和が原因であり、彼の音楽的創造性やパフォーマンスへの情熱が失われたわけではなかった。K.K.’s Priestの結成は、彼が自身の音楽的ルーツとJudas Priestの遺産を、自身のビジョンで継承・発展させたいという強い意志の表れである。これにより、Judas Priestの「鋼鉄の血統」が、本家バンドだけでなく、K.K.’s Priestという形で並行して存在し、ファンに多様な選択肢を提供している。これは、偉大なバンドの遺産が、必ずしも単一の形態でしか存在し得ないわけではないことを示唆している。むしろ、オリジナルメンバーによる新たなプロジェクトが、その遺産をさらに豊かにし、ジャンル全体の活性化に貢献する可能性を示しているだろう。
ライブレビューでは、K.K.の健在ぶりとリッパーのヴォーカルが絶賛され、Judas Priestのクラシック曲が「メタル・ゴッドの基準を上回る」ほどの迫力で披露されていると評されている。
グレン・ティプトンの闘い:パーキンソン病との共存、不屈の精神
ジューダス・プリーストのもう一人の柱、グレン・ティプトンは、2018年にパーキンソン病と診断されたことを公表し、フルタイムでのツアー活動から身を引くことを発表した。彼は2008年にはすでに診断を受けていたが、公表まで10年近くその事実を伏せていたという。病気の進行により、より挑戦的な楽曲の演奏が困難になったためだが、グレンは「世界最高のメタルバンドの質を妥協させたくない」という強い思いからこの決断を下したのである。
しかし、彼はバンドの正式メンバーであり続け、楽曲制作にも引き続き貢献している。リッチー・フォークナーは、グレンがアイデアを出しても、その日に演奏できない場合は、彼を通してアイデアを練り直すという形で共同作業を行っていると語っている。ツアーでは、プロデューサーでもあるアンディ・スニープがグレンの代役を務めているが、グレン自身も体調の良い日にはステージに上がり、「Metal Gods」「Breaking the Law」「Living After Midnight」といった数曲を演奏し、観客を感動させている。グレンの病気はバンドにとって大きな試練であったが、彼の不屈の精神とバンドメンバーのサポート(アンディ・スニープの加入など)により、Judas Priestは活動を継続できている。彼の闘病は、単なる個人的な問題に留まらず、バンド全体の「決して降伏しない」という精神性を象徴するものとなった。グレンの存在は、ヘヴィメタルというジャンルが持つ「強さ」や「レジリエンス」を体現している。彼の闘病とバンドの対応は、ファンに深い感動と勇気を与え、音楽が持つ癒やしや連帯の力を再認識させた。これは、バンドが単なるエンターテイナーではなく、人生の困難に立ち向かう人々のインスピレーションとなり得ることを示している。
バンドはグレン・ティプトン・パーキンソン病財団を立ち上げ、彼の名誉を称え、病気の治療法を見つけるための資金集めを行っている 68。「No Surrender」(決して降伏しない)というスローガンは、彼の不屈の精神を象徴している。
異文化との邂逅:BabyMetalとの交流が示すもの
ヘヴィメタルの歴史において、ジューダス・プリーストは常に新しい潮流に目を向けてきた。その象徴的な出来事の一つが、日本のメタルダンスユニット、BabyMetalとの交流である。
2016年のアメリカで開催された「Alternative Press Music Awards」では、ロブ・ハルフォードがBabyMetalとステージで共演し、「Painkiller」と「Breaking the Law」を披露した。このコラボレーションは大きな話題を呼び、ロブ自身も「今度はもっとロングタイムで」と再共演に意欲を見せていた。実際に、2018年にはシンガポール公演で再び共演を果たしている。ロブ・ハルフォードがBabyMetalとの共演を受け入れたのは、単なる話題作りではなく、BabyMetalが持つメタルへのリスペクトと、その音楽的エネルギーを認めたからである。この共演は、ヘヴィメタルというジャンルが持つ「純粋性」や「伝統」といった固定観念を打ち破り、異文化や新たな表現形式との融合を積極的に受け入れる姿勢を示した。これは、ヘヴィメタルが、その強固なアイデンティティを持ちながらも、時代と共に進化し、多様な形態を取り入れる柔軟性を持っていることを証明した。また、若い世代のファンにJudas Priestの音楽を再発見させるきっかけとなり、ジャンルの未来への橋渡し役を果たしたと言えるだろう。
現在のジューダス・プリースト:鋼鉄の旅は続く、その未来
2022年、ジューダス・プリーストはロックの殿堂入りを果たした。式典にはK.K.ダウニングも参加し、ロブ・ハルフォードは「有り難い」「興奮している」と語ったという。
現在のジューダス・プリーストは、ロブ・ハルフォード、グレン・ティプトン、リッチー・フォークナー、イアン・ヒル、スコット・トラヴィスを主要メンバーとし、アンディ・スニープがサポートを務める体制で活動を続けている。2024年3月には、6年ぶりとなる最新アルバム『Invincible Shield』をリリースした。このアルバムは、前作『Firepower』の音楽性をさらに深化させつつ新機軸を加え、「キャッチーさ」と「重圧感より軽快さ」を融合させた傑作と評価されている。73歳を迎えるロブ・ハルフォードのヴォーカルは、その「若々しさ」と「驚異的な咆哮」で「無敵感に満ちたオーラ」を放っている。彼の歌唱は、もはや技術に頼るだけでなく、曲そのものの魅力が高まっているという。
彼らは現在も精力的にツアーを行っており、2024年の日本公演でもその健在ぶりを見せつけた。ロブの歌声は「喉からCD音源」と評されるほどのクオリティを保ち、リッチー・フォークナーの華やかなステージングとファンサービス、アンディ・スニープの安定したパフォーマンス、スコット・トラヴィスのパワフルなドラミングがバンドを支えている 14。ハーレーに乗って登場するロブの姿は、もはやライブの象徴となっている。
ライブの変遷:ステージ上の鋼鉄の叙事詩
ライブとは、バンドがその魂を剥き出しにする場所だ。それは、まるで夢と現実の境界線が曖昧になる、特別な時間。ジューダス・プリーストのステージは、半世紀にわたり、その姿を変えながらも、常に観客の記憶に深く刻まれてきた。
70年代の熱狂:ブルースの残滓からメタルの胎動へ
初期のライブは、より生々しく、ブルースロックの残滓を感じさせるパフォーマンスだった。しかし、その中にもツインギターのリフワークやロブのハイトーンが光り、バンドの勢いが音に感じられたという。彼らはイギリス中を回り、本格的なライブ活動を開始し、地道にファンベースを築いていった。1979年の日本公演を収録したライブアルバム『Priest In The East』は、スタジオ盤よりもスピードを増し、臨場感溢れる演奏が評価された。ただし、ロブの喉の不調により、一部のヴォーカルは後からオーバーダブされたという逸話もある。この時期のライブは、視覚的な派手さよりも、楽曲の持つエネルギーと演奏力で勝負する側面が強かった。
80年代の視覚的進化:鋼鉄のイメージの確立とアリーナの支配
80年代に入ると、彼らはサウンドだけでなく、視覚的なパフォーマンスも大きく進化させた。革とスタッズに身を包んだ「レザー・ルック」は、彼らのトレードマークとなり、ヘヴィメタルのイメージを決定づけた。1983年のUSフェスティバルでは、ヴァン・ヘイレンらと共に出演し、35万人以上を動員する大規模なステージを経験した。これは彼らのアメリカ進出成功の象徴的な出来事となった。
ミュージックビデオの制作にも力を入れ、「Heading Out to the Highway」ではチープな背景絵をバックにロブが謎のダンスを踊り、「Hot Rockin’」ではメンバーが上半身裸でウェイトトレーニングをするなど、お茶目な一面も見せた。ロブのマイクや靴に火が付く演出は、実際に燃やしていたというから驚きだ。ライブでは、ロブ・ハルフォードがハーレーダビッドソンに乗って登場する演出が定着し、観客の興奮を最大限に煽った。
『Screaming for Vengeance』や『Defenders of the Faith』期のライブは、バンドが絶頂期にあったことを示しており、その圧倒的な演奏力とロブのパワフルなシャウトは、多くのファンを熱狂させた。特に『Screaming for Vengeance』ツアーのライブ映像は「格好良すぎてしびれた」と評されている。一方で、『Ram It Down』ツアーでは、アルバムの機械的なサウンドがライブでも影響し、一部の楽曲は単調に聞こえるという評価もあった。
バンドは、音楽の「ヘヴィネス」を聴覚だけでなく、視覚的にも表現することの重要性を早期から認識していた。初期の素朴な演出から始まり、80年代のMTV時代にはハーレーやレザーファッションで「メタル・ゴッド」のイメージを確立し、現代では最新技術を駆使して、楽曲の世界観をより没入感のある形で提示している。この進化は、ヘヴィメタルが単なる音のジャンルではなく、ライフスタイルや文化としての側面を強化する上で不可欠だった。ジューダス・プリーストのライブパフォーマンスの進化は、ヘヴィメタルがアリーナロックへと成長していく過程と同期している。彼らは、音楽的クオリティを維持しつつ、視覚的エンターテイメント性を高めることで、より広範なオーディエンスを獲得し、ジャンルの地位向上に貢献したのである。
90年代以降の円熟:困難を乗り越え、伝説を刻み続ける
『Painkiller』期のライブは、スコット・トラヴィスの加入により、より高速でアグレッシブな演奏が特徴となった。しかし、ロブのヴォーカルはスタジオ盤のような「狂気」をライブで完全に再現するのは難しく、一部で「痛々しい」と感じる声もあった。それでも、その迫力は健在だった。
ロブ・ハルフォード復帰後のライブは、バンドの「復活」を象徴するものとなった。2015年の日本武道館公演では、ロブが杖をついて登場する演出があったものの、すぐにステッキを手放し、力強いシャウトを披露した。ステージセットにはスクリーン映像が導入され、歴代アルバムジャケットやイメージ映像が曲ごとに変化し、より華やかな演出となった。
最近のライブ(2024年の『Invincible Shield』ツアー)では、ロブの歌声は「喉からCD音源」と評されるほどの安定感を見せ、サビでの高音ロングトーンは「本物の風格」を伝えている。リッチー・フォークナーとアンディ・スニープのツインギターは完璧なソロを奏で、スコット・トラヴィスのドラムは手数とパワーを両立している。観客との一体感も健在で、「Breaking the Law」でのコール&レスポンスや、ロブがバンドの歴史を振り返るMCは、ファンにとって感動的な瞬間となっている。特に、ティム・オーウェンズ期のアルバムはMCで触れられないという、バンドの「ロブ史観」も垣間見えるのは興味深い。
ロブ・ハルフォードのヴォーカルは、そのキャリアを通じて常に「神」と称されるほどの超人的な高音とパワーを誇る一方で、人間的な限界や体調の波も存在した。70年代の日本公演での喉の不調によるオーバーダブ、90年代『Painkiller』期のライブでの「狂気」の再現の難しさ、そして2015年のライブで杖を使用する場面は、その人間的な側面を物語っている。しかし、彼はそれらの困難を乗り越え、年齢を重ねるごとに表現力と技術を円熟させ、時に演出(杖など)も取り入れながら、常に最高のパフォーマンスを追求してきた。2024年のライブで「喉からCD音源」と評されるほどの安定感と「本物の風格」を見せていることは、一人のアーティストが「神」の領域に達しつつも、人間としての葛藤や努力を続ける姿を映し出している。彼のヴォーカルは、ヘヴィメタルのボーカルスタイルに計り知れない影響を与えただけでなく、アーティストが長期的なキャリアを築く上で、自身の限界と向き合い、それを乗り越えることの重要性を示している。彼の不屈の歌声は、ファンにとって希望とインスピレーションの源であり続けているのである。
結び:鋼鉄の神話は終わらない、風の向こうへ
ジューダス・プリーストの物語は、まるで古びた地図を広げるように、バーミンガムの片隅から始まり、世界の果てまで広がる、壮大な叙事詩である。彼らは、ブルースロックの影を引きずっていた初期から、鋭利なツインギターとロブ・ハルフォードの超絶ハイトーンを武器に「ヘヴィメタル」というジャンルの輪郭を明確に描き出し、その文化とイメージを確立した。『British Steel』での革新的なサウンドメイクとメディア戦略、そして『Screaming for Vengeance』での予期せぬアメリカでの大ブレイクは、彼らが単なる音楽家ではなく、時代の潮流を読み解き、自らを再定義する戦略家でもあったことを示している。
サブリミナルメッセージ裁判という不本意な注目を浴びながらも、彼らは表現の自由のために闘い、その知名度を皮肉にも高めた。ロブ・ハルフォードの脱退と復帰は、バンドが単なるビジネス集団ではなく、「家族」のような深い絆で結ばれていることを示し、多くのファンに感動と希望を与えた。K.K.ダウニングの脱退とK.K.’s Priestの活動、そしてグレン・ティプトンのパーキンソン病との闘いは、バンドの「鋼鉄の血統」が多様な形で継承され、その不屈の精神が世代を超えて輝き続けることを証明している。
BabyMetalとの異文化交流は、ヘヴィメタルというジャンルが持つ固定観念を打ち破り、伝統を守りつつも進化し続ける柔軟性を示した。そして、70歳を超えてなお「若返ったような驚異的な咆哮」を轟かせるロブ・ハルフォードを擁する現在のジューダス・プリーストは、最新作『Invincible Shield』でその健在ぶりを世界に示し、精力的なライブ活動を続けている。
ジューダス・プリーストの物語は、単なる一バンドの歴史ではない。それは、ヘヴィメタルという音楽ジャンルがどのように生まれ、成長し、困難を乗り越え、そして未来へと向かっていくかを示す、生きた証である。彼らの鋼鉄の神話は、これからも風の向こうへ、新たな音の記憶を刻み続けていくに違いない。なぜなら、彼らは「メタル・ゴッド」なのだから。

Raiders.rocks編集長。30年以上にわたりヘヴィメタル、ハードロック、プログレッシブロック専門誌の編集長を務める。Monsters Of Rock、Wacken Open AirやOzzfest、NearFest、FujiRock、SummerSonic、LoudParkなど、国内外の主要フェスティバルでの豊富な取材経験を持つ。深い知識とバンドが置かれた現場での視点から、ヘヴィメタル、ハードロック、プログレッシブロックの専門情報をお届けします。


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