プレイング・マンティス:カマキリの夢の跡を辿る旅

hisory
Praying Mantis

僕がこれから紡ぎ出すのは、ヘヴィメタルという荒波の中で、どこか繊細で、しかし確かな光を放ち続けたバンド、Praying Mantisの物語だ。彼らの音楽は、僕の青春の風景に深く溶け込み、時折、遠い記憶の扉を開く鍵となる。この物語は、単なる事実の羅列ではない。僕が彼らの音楽と共に生きてきた時間、感じてきた感情、そして彼らがシーンに刻んだ足跡を、僕自身の言葉で語り直す試みだ。まるで古いレコードの溝を辿るように、彼らの哀愁と情熱の軌跡を深く掘り下げていこう。

  1. 序章:僕と、あの頃の英国にあったNWOBHMの嵐
    1. NWOBHM勃興期の熱狂と、その中で彼らが放っていた独特の輝き
    2. DJニール・ケイが「ザ・バンドワゴン」でかけた、あの曲の記憶
    3. NWOBHMにおけるPraying Mantisの立ち位置とニール・ケイの影響
  2. 第一章:戦慄のデビュー、そして不遇の時代
    1. バンド結成から初期の活動
    2. 1stアルバム『Time Tells No Lies』の衝撃と、その後の不遇
    3. マネジメント問題が彼らの運命をどう変えたのか
    4. 音楽的な空白の10年
  3. 第二章:十年越しの再会、日本が呼んだ奇跡
    1. 伊藤政則氏の呼びかけに応じたNWOBHM記念来日コンサートの背景と、その熱狂
    2. 再結成、そして10年ぶりとなる2ndアルバム『Predator in Disguise』の発表
    3. ロドニー・マシューズによる特徴的なアートワークが、僕らの心をどう捉えたか
    4. アルバムの反響と、日本での特別な絆
  4. 第三章:進化する音像:アルバムごとの軌跡
    1. 3rdアルバム『A Cry for the New World』以降の各作品を巡る旅
    2. アルバムごとの音楽的特徴、メンバーチェンジがサウンドに与えた影響
    3. 各アルバムの評価と、僕が感じた個人的な印象
  5. 第四章:魂を揺さぶるステージ:ライブパフォーマンスの真髄
    1. 再結成後のクラブチッタ来日公演のインパクト。あの時、涙を流していた女の子たちの姿。
    2. 各アルバム期におけるライブパフォーマンスの変遷と、僕が抱いた意見
    3. バンドとマネジメントの関係がライブ活動にどう影響したか
    4. 逆境を乗り越えるライブの力
  6. 終章:カマキリは飛び続ける:現在、そして未来へ
    1. 現在のバンド活動とメンバー構成
    2. 彼らがヘヴィメタルシーンに与え続けている影響
    3. 僕がPraying Mantisに抱く、尽きることのない期待と敬意

序章:僕と、あの頃の英国にあったNWOBHMの嵐

僕がまだ若く、世界が無限の可能性に満ちているように見えた頃、イギリスから吹き荒れたNWOBHM(New Wave of British Heavy Metal)という名の嵐があった。それは、それまでのロックの常識を打ち破り、新たな時代の到来を告げる轟音だった。Iron MaidenやSaxonといったバンドがその先頭を走り、多くの若者がその熱狂に身を投じた。僕もその一人だった。そんな中で、Praying Mantisは、他のバンドとは少し違う、独特の輝きを放っていたんだ。彼らの音楽には、力強さの中に、どこか憂いを帯びたメロディと、美しいハーモニーが息づいていた。それは、僕の心に深く染み込むような、特別な響きとして貫いていた。

NWOBHM勃興期の熱狂と、その中で彼らが放っていた独特の輝き

Praying Mantisは、NWOBHMムーブメントが本格化する以前の1970年代中期に、ティノ・トロイ(G,Vo)とクリス・トロイ(B,Vo)のトロイ兄弟を中心に、ピート・ムーア(G)、クリス・ハッドソン(Ds)の4人編成で「JUNCTION」という名で結成された。彼らは、他のNWOBHMバンドが持つ粗削りなエネルギーとは一線を画し、より洗練されたメロディとハーモニーを追求していた点が特徴的だ。

1979年にはEMIから3曲入りEP「THE SOUNDHOUSE TAPES 2」をリリースし、翌1980年には自主制作盤「PRAYING MANTIS」を発表した。同年、彼らはIron Maidenのメジャーデビューツアーのオープニングアクトを務め、さらにReading Festivalにも出演したことで、その知名度を大きく上げた。これらの活動が、Arista Recordsとのメジャー契約へと繋がる重要な足がかりとなった。

DJニール・ケイが「ザ・バンドワゴン」でかけた、あの曲の記憶

北ロンドンのハードロックディスコ「ザ・バンドワゴン」のDJ、ニール・ケイの存在は、Praying Mantisにとって非常に大きかった。ニール・ケイは彼らのデモ曲を頻繁にプレイし、バンドが音楽を披露するプラットフォームを与えた。特に「Captured City」や「Lovers to the Grave」といった楽曲が、彼のサポートによって広く知られるようになった。

「Captured City」は1980年のNWOBHMコンピレーション『Metal for Muthas』にも収録され、彼らの知名度をさらに高める結果となった。この初期の露出と、当時台頭しつつあったIron Maidenとの対バン経験が、彼らがメジャー契約に至る重要な足がかりとなったことは、疑いようのない事実だ。

NWOBHMにおけるPraying Mantisの立ち位置とニール・ケイの影響

NWOBHMの多くのバンドが、よりアグレッシブでストレートなヘヴィネスを追求していた中で、Praying Mantisは結成がNWOBHMムーブメント以前であり、初期からメロディとハーモニーを重視する独自の音楽性を確立していた。このメロディックなアプローチは当時のNWOBHMの主流とは異なっていたが、ニール・ケイという影響力のあるDJが彼らのデモを頻繁に流したことで、彼らのユニークなサウンドがシーンに浸透し、独自のニッチを確立できたと考えられる。

これは、単に良い音楽を作るだけでなく、適切なプロモーターの存在がバンドの初期キャリアにいかに重要かを示す典型的な事例だ。彼らが後に「不遇」とされるキャリアの始まりを迎えるにもかかわらず、その音楽性が評価される土壌が日本だけでなく、初期の英国シーンにも存在したことを、ニール・ケイの存在は示唆している。彼のサポートがなければ、Praying Mantisの繊細なメロディが、あの轟音の時代の中で埋もれてしまっていた可能性も十分に考えられた。

第一章:戦慄のデビュー、そして不遇の時代

バンド結成から初期の活動

バンドは1970年代中期に、ティノ・トロイ(G, Vo)とクリス・トロイ(B, Vo)のトロイ兄弟を中心に、ピート・ムーア(G)、クリス・ハッドソン(Ds)の4人編成で「JUNCTION」として結成された。バンド名の「Praying Mantis」は、初期に在籍していたボーカリストのスタンリー・カニンハムがステージでカマキリのようなアクションをすることから名付けられたというエピソードがある。しかし、自主制作盤時には彼はすでに脱退していた。

初期のラインナップは1978年まで安定していたが、その後ドラマーがミック・ランサムに、ギタリストがボブ・アンジェロに交代した。Arista Recordsと契約後、ドラマーがデイヴ・ポッツに、ギタリスト兼ボーカリストがスティーヴ・キャロルに交代し、このラインナップで1981年にデビューアルバム『Time Tells No Lies』をリリースすることになる。

1stアルバム『Time Tells No Lies』の衝撃と、その後の不遇

1981年にリリースされたデビューアルバム『Time Tells No Lies』は、UKアルバムチャートで60位を記録した。これは当時のNWOBHMバンドとしてはまずまずの成果であり、彼らのメロディックなサウンドが一定の評価を得た証拠となった。

しかし、この成功は長く続かなかった。アルバム制作中に、彼らがRuss Ballardの楽曲「I Surrender」をカバーしようとした。しかし、リッチー・ブラックモア率いるRainbowが先に同曲をリリースし、世界的なヒットとなったため、Playing Mantisはこの曲をリリースすることができなかった。代わりにリリースされたシングル「Cheated」はUKシングルチャートで69位を記録したものの、この一件は彼らのキャリアの勢いを削ぐ一因となったのかもしれない。バンドが大きなチャンスを目前にして、不運にもその機会を逸してしまった、そう感じずにはいられない出来事だった。

マネジメント問題が彼らの運命をどう変えたのか

『Time Tells No Lies』リリース後、Arista Recordsは彼らとの契約オプションを行使せず、バンドはJet Recordsに移籍するが、その後リリースされた2枚のシングルもヒットせず、バンドは活動を停止してしまう。ティノ・トロイは後に、この時期の「悪いマネジメント」がバンドに長期的なダメージを与えたと語っている。

これは、彼らの音楽的才能が十分に開花できなかった大きな理由の一つだったと、僕には思える。バンドの音楽性が高く評価され、チャートインの実績もあったにもかかわらず、レコード会社との関係性やマネジメントの不安定さが、彼らがNWOBHMのトップランナーとして駆け上がる機会を逸してしまった主要な要因だった。これは、才能あるバンドが必ずしも商業的成功を収めるとは限らない、音楽業界の厳しい現実を浮き彫りにしている出来事だった。

音楽的な空白の10年

彼らの初期キャリアにおいて、ニール・ケイがプレイしたデモ音源が1979年の「The Soundhouse Tapes」EPに収録されたという重要な事実がある。これは彼らのデビュー以前の音源であり、NWOBHMシーンでの彼らの立ち位置を決定づけるものだった。

1stアルバム『Time Tells No Lies』と2ndアルバム『Predator in Disguise』の間には約10年のブランクがあり、この間、トロイ兄弟は元Iron Maidenのドラマー、クライヴ・バーらとSTRATUSというバンドを結成し、活動していた。このSTRATUSの活動が、実質的に彼らの音楽的探求の継続であり、次のPraying Mantisのアルバムへと繋がる橋渡しになったと言えるだろう。彼らの「不遇」は、単に運が悪かったというだけでなく、レコード会社との関係性やマネジメントの不安定さという、外部要因に大きく左右されたことが示唆される。

第二章:十年越しの再会、日本が呼んだ奇跡

彼らが活動を停止していた間も、日本には彼らを忘れずに待ち続ける熱心なファンがいた。そして、その熱い想いが、奇跡の再会を呼び込んだんだ。

伊藤政則氏の呼びかけに応じたNWOBHM記念来日コンサートの背景と、その熱狂

Praying Mantisは、英国での活動停止後も、日本で特に強いファンベースを維持していた。この日本の熱意が、1990年のNWOBHM10周年記念ツアーとして、彼らを再結成へと導いた。このツアーには、元Iron Maidenのポール・ディアノ(Vo)とデニス・ストラットン(G, Vo)、そしてブルース・ビスランド(Ds)が参加し、Praying Mantisの楽曲とIron Maidenの楽曲を披露した。このパフォーマンスは、ライブアルバム『Live at Last』(1990年)としてリリースされ、僕らの間で大きな話題になった。

1999年8月1日に日比谷野外音楽堂で開催されたNWOBHM20周年フェスティバルでも、Praying Mantisは出演していた。このフェスティバルは、地方からも多くのメタラーが集まるほどの熱気だったが、NWOBHMがマニアックなジャンルであることを立証してしまった側面もあったようだ。しかし、僕にとっては、あの日の晴天と、ビールが水のように入っていく感覚、そして何よりも彼らの演奏が、鮮明な記憶として残っている。

再結成、そして10年ぶりとなる2ndアルバム『Predator in Disguise』の発表

1990年の日本公演の成功を受けて、Praying Mantisはトロイ兄弟、ストラットン、ビスランドを核として正式に再結成を果たした。そして、日本のポニーキャニオンと契約し、10年ぶりとなる2ndスタジオアルバム『Predator in Disguise』を1991年に発表したんだ。このアルバムは、僕らにとって待望の新作であり、彼らが再び動き出したことへの喜びを噛み締める一枚となった。

ロドニー・マシューズによる特徴的なアートワークが、僕らの心をどう捉えたか

ロドニー・マシューズは、Praying Mantisのアルバムカバーを数多く手掛けていることで知られる、英国の幻想的なイラストレーターだ。彼の作品は、独特のファンタジックな世界観とメカ生体的なデザインが特徴で、同じ傾向のロジャー・ディーンとよく比較される。

彼は1stアルバム『Time Tells No Lies』のアートワークを手がけており、その後も『Predator in Disguise』を含む複数のアルバムで彼らの視覚的アイデンティティを形成してきた。彼の描くカマキリのモチーフは、バンドの象徴として僕らの心に深く刻まれている。彼の作品は、単なるアルバムカバーを超え、バンドの音楽が持つ物語性を視覚的に増幅させる役割を担っていた。

アルバムの反響と、日本での特別な絆

『Predator in Disguise』の具体的な販売枚数やチャートデータは明確ではないが、Discogsのデータでは「Have: 189」「Want: 53」という数字が見られ、ファンからの需要があることが伺える。また、Metal Music Archivesのレビューでは「Hard Rock 1991」として4.00/5.00の評価を受けている。

この再結成とアルバム発表は、日本における彼らの強固なファンベースによって支えられていた。彼らはその後も日本での活動を重視し、日本のプロモーターやファンとの特別な関係を築いていくことになる。英国での初期の挫折と、日本市場での継続的な支持という、地理的なコントラストが彼らのキャリアを特徴づけている。日本での熱狂的な歓迎と、伊藤政則氏のようなキーパーソンの存在がなければ、彼らはそのまま歴史の中に埋もれてしまっていたかもしれない。これは、特定の地域における熱心なファンベースが、バンドの存続とキャリアの再始動にいかに決定的な影響を与えるかを示す、非常に稀有で感動的なケースだ。彼らの音楽が持つメロディックな哀愁が、特に日本のリスナーの感性に深く響いた、という文化的な側面も強く感じられる。

第三章:進化する音像:アルバムごとの軌跡

『Predator in Disguise』以降、Praying Mantisはコンスタントにアルバムをリリースし、その音楽性を進化させていった。僕の耳には、彼らの音像が時代と共に変化していく様が、まるで古い写真アルバムをめくるように鮮やかに響いていた。

3rdアルバム『A Cry for the New World』以降の各作品を巡る旅

1993年には、3rdアルバム『A Cry for the New World』を発表した。このアルバムは、コリン・ピールをボーカルに迎え、全編を通して哀愁の旋律が炸裂する名盤と評されている。しかし、コリン・ピールは役者のキャリアを追求するために脱退してしまい、このラインナップでの新作は実現しなかった。

その後も、バンドはメンバーチェンジを繰り返しながら、精力的に作品を発表し続けている。主なスタジオアルバムとしては、『To the Power of Ten』(1995年)、『Forever in Time』(1998年)、『Nowhere to Hide』(2000年)、『The Journey Goes On』(2003年)、『Sanctuary』(2009年)、『Legacy』(2015年)、『Gravity』(2018年)、そして最新作『Katharsis』(2022年)がある。彼らは半世紀近くにわたり、その音楽的探求を続けてきたと言えるだろう。

アルバムごとの音楽的特徴、メンバーチェンジがサウンドに与えた影響

Praying Mantisの音楽スタイルは、Thin LizzyのようなツインギターとDef Leppardのようなボーカルハーモニーを組み合わせた、よりメロディックなハードロックとして知られている。この基本的な方向性は一貫しているものの、ボーカリストの交代が頻繁であったため、各アルバムには異なるニュアンスが加わっている。

『A Cry for the New World』は、コリン・ピールの繊細ながらもHR/HMのボーカルとしてサウンドにマッチした歌唱と、この時代ならではの煌びやかなキーボードアレンジが特徴で、北欧メタルのファンにも勧められる名盤と評されている。

『Nowhere to Hide』は、John SlomanやDoogie Whiteといった実力派ボーカリストが参加し、AsiaやRainbow、Foreignerを彷彿とさせる「ソフトなメロディック・ハードロック」として評価された。

『Legacy』(2015年)では、新ボーカリストのジョン”ジェイシー”カイペルスを迎え、ジャーニー・ランデやロニー・ジェイムス・ディオを彷彿とさせるパワフルな歌唱が絶賛された。このアルバムは、彼らの10枚目のスタジオ作品であり、非常に高い評価を得たことで、バンドの新たな黄金期を予感させた。

『Gravity』(2018年)は、アップテンポでラフなサウンドからメロウでメロディックな曲まで幅広いが、一部では前作『Legacy』ほどではないという意見もあった。

『Katharsis』(2022年)は、前作と同じラインナップで制作され、Praying Mantisのトレードマークであるメロディックなコーラスと重層的なバッキングボーカルが健在だと評価されている。

バンドは長年にわたり多くのメンバーチェンジを経験している。特にボーカリストの交代が頻繁で、コリン・ピール、マーク・トンプソン・スミス、ゲイリー・バーデン、トニー・オホーラ、ジョン・スローマン、ドゥギー・ホワイト、マイク・フリーランド、そして現在のジョン”ジェイシー”カイペルスと、多くの才能がバンドのサウンドに影響を与えてきた。しかし、ティノ・トロイとクリス・トロイの兄弟が常にバンドの核として存在し、そのメロディックなハードロックのアイデンティティを保ち続けているのは特筆すべき点だ。

各アルバムの評価と、僕が感じた個人的な印象

販売枚数に関する具体的なオリコンチャートなどのデータは、初期のシングルや1stアルバム以外では見当たらない。しかし、Discogsの「Have/Want」統計や、各音楽レビューサイトの評価から、アルバムごとのファンからの反響や批評家の評価を読み取ることができる。

『A Cry for the New World』はDiscogsで平均4.74/5(19評価)と高く評価されている。Metal Music Archivesでは5.00/5.00の評価を一つ得ている。

『To the Power of Ten』はDiscogsで平均3.95/5(20評価)とまずまずの評価だが、AllMusicレビューでは「以前の作品の焼き直し」という辛辣な意見もある。

『Forever in Time』はDiscogsで平均3.89/5(9評価)と平均的だ。

『Nowhere to Hide』はMetalreviewsで85/100と高評価だが、非常にソフトなハードロックと評されている。Discogsでは平均4.07/5(56評価)と比較的多くの評価を集めている。

『The Journey Goes On』はMelodicRock.comで70%と評価され、ボーカリストの交代が頻繁で曲の強さが前作に劣ると指摘されている。Discogsでは平均4.8/5(5評価)と少数ながら高評価だ。

『Sanctuary』はDiscogsで平均4.43/5(7評価)と良好だ。

『Legacy』はMelodicRock.comで92%、「CLASSIC」と最高評価を受け、Metal Express Radioでも8/10と高評価で、新ボーカルのJaycee Cuijpersが絶賛されている。Metal Stormでは「歯のないAOR」と辛辣な評価もあるが、「Fight For Your Honour」や「The Runner」は評価されている。Discogsでは平均4.22/5(37評価)と多くの評価を集めている。

『Gravity』はMetal Kaozで7/10、Worship Metalで6/10とまずまずの評価だ。Discogsでは平均3.93/5(29評価)と平均的だ。

『Katharsis』はHeadbangers Lifestyleで「非常に堅実で、メロディックで、バランスの取れた楽曲レパートリー」と高評価だが、Rock Reportでは「最初の2曲は良いが、その後はエネルギーに欠けるAOR」といった厳しい意見もある。Discogsでは「Have: 474」「Want: 73」と多くのコレクターが所有している。

Praying Mantisのキャリアは、トロイ兄弟という揺るぎない核がありながらも、ボーカリストの交代がバンドのサウンドと評価に大きな影響を与えてきたことを示している。これは、メロディックな音楽において、ボーカルが持つ表現力がいかに重要であるかを物語っている。彼らは商業的な大成功を収めることはなかったかもしれないが、一貫して高品質なメロディック・ハードロックを提供し続けることで、根強いファンベースを築き、その「レガシー」を確固たるものにしてきた。彼らの音楽は、流行に左右されない普遍的な美しさを持っている、と僕は思う。

第四章:魂を揺さぶるステージ:ライブパフォーマンスの真髄

Praying Mantisのライブは、彼らの音楽が持つメロディの美しさと、ハードロックの力強さが融合する、まさに魔法のような時間だった。特に日本での公演は、僕の心に深く刻まれている。

再結成後のクラブチッタ来日公演のインパクト。あの時、涙を流していた女の子たちの姿。

再結成後の日本でのライブ、特に『A Cry for the New World』に伴う来日公演のクラブチッタ川崎での公演は、僕にとって忘れられない光景があった。あの会場の熱気、ステージから放たれる音の塊、そして何よりも、僕の周りにいた多くのファン、特に女の子たちが、彼らの奏でる哀愁のメロディに涙を流していた光景は、今でも鮮明に僕の記憶に残っている。「やっと会えた……」女の子たちはそう呟きながら、ライブ後のホールで泣いていた。ヘヴィメタルバンドのライブで感極まって泣く女の子を僕はこのライブでしか知らない。クラブチッタでのライブの熱狂は確かに存在し、UFOやMichael Schenker Groupといった英国・欧州の抒情的HR/HMアーティストを連想させる彼らの音楽が、日本のファンに深く響いたことは間違いない。それは、単なる音楽を超えた、魂の共鳴のようなものだった。彼らのメロディが持つ普遍的な魅力が、性別や年齢を超えて聴く者の感情に直接訴えかける力を持っていた証拠だろう。

各アルバム期におけるライブパフォーマンスの変遷と、僕が抱いた意見

Praying Mantisは、そのキャリアを通じて数多くのライブアルバムをリリースしている。中でも、1990年の『Live at Last』は、ポール・ディアノやデニス・ストラットンといった元Iron Maidenのメンバーとの共演を記録した、歴史的な一枚だ。このアルバムは、彼らが一時的な再結成から本格的な活動再開へと踏み出すきっかけとなった重要なライブの記録だと言える。

1995年の『To The Power Of Ten』の日本ツアーでは、ドラマーのブルース・ビスランドが腕を骨折した際に、元Iron Maidenのクライヴ・バーが代役を務めたというエピソードがある。このパフォーマンスは『Captured Alive In Tokyo City』(1996年)としてリリースされ、僕らは彼らの絆の強さと、どんな困難にも屈しない姿勢を感じた。

2012年には、日本限定アルバム『メタルモルフォーシズ』をリリースし、東京と大阪で初期の楽曲を中心とした2日間のツアーを行った。音楽雑誌BURRN!でネタバレセットリストが掲載されたにもかかわらず、実際は全く違う曲順になったというエピソードも、彼らのライブが常に予測不能な魅力を秘めていたことを物語っている。

最近のライブアルバム『Keep It Alive!』(2019年)は、2018年のFrontiers Rock Festival Vでのライブを収録しており、オーディエンスの熱狂が伝わってくる。ボーカルのジョン・カイペルスが一部の高音を外し、ハーモニーボーカルがそれを補う場面もあると評されているが、それはライブならではの生々しさであり、彼らが「諦めない決意」で活動を続けている証拠だと僕は思う。彼らのライブは、常に彼らの音楽の真髄を、飾り気なく、しかし情熱的に伝える場であり続けている。

バンドとマネジメントの関係がライブ活動にどう影響したか

初期の「悪いマネジメント」は、彼らのライブ活動にも影響を与えた可能性が高い。バンドが安定したサポートを得られなければ、ツアーの企画や実行にも支障が出ただろう。これは、バンドの才能が十分に発揮される機会を奪うことにも繋がりかねない。

しかし、再結成後は、日本のプロモーターとの良好な関係 や、Frontiers Recordsのようなレーベルとの連携 により、コンスタントなアルバムリリースとライブ活動が可能になった。彼らが活動を停止していた期間、そして再始動後も、日本市場の存在が彼らを支え続けたことは、バンドの存続に不可欠な要素だった。

近年、ティノ・トロイは、パンデミックやBrexitがバンドの国際ツアーに物流上の悪夢をもたらしていること、特にオランダ人メンバー(ボーカルのジョン・カイペルスとドラムのハンス・イン・ザント)の帯同に問題が生じていることを明かしている。これは、バンドが直面する現代的なマネジメントの課題であり、彼らが「ロックし続ける」ために乗り越えなければならない壁だ。しかし、彼らはこれらの困難にもかかわらず、ライブ活動を継続する強い意志を示している。

逆境を乗り越えるライブの力

Praying Mantisにとって、ライブパフォーマンスは単なるアルバムのプロモーション活動を超え、バンドの存在意義そのものだったと言える。彼らは初期にマネジメント問題で活動停止に追い込まれたが、日本でのライブの成功が再結成のきっかけとなった。ライブでは元Iron Maidenメンバーとの共演や、クライヴ・バーの代役など、ドラマティックなエピソードが生まれてきた。

特に、逆境に立たされた時、彼らはライブを通じてファンとの絆を再確認し、活動の原動力を得てきた。初期の不遇を乗り越え、今日まで活動を続けてこられたのは、彼らの音楽が持つライブでの魅力と、それを支える熱心なファン、そして困難を乗り越えようとするバンド自身の強い意志があったからに他ならない。ライブは、彼らが「カマキリ」として飛び続けるための翼だった。彼らのステージは、常に彼らの不屈の精神と、音楽への純粋な情熱を映し出している。

終章:カマキリは飛び続ける:現在、そして未来へ

Praying Mantisは、僕が知る限り、決して諦めることを知らないバンドだ。彼らは、ヘヴィメタルシーンの片隅で、しかし確かな存在感を放ちながら、今もなお飛び続けている。

現在のバンド活動とメンバー構成

現在のPraying Mantisは、創設メンバーであるトロイ兄弟(ティノ・トロイ:ギター、キーボード、クリス・トロイ:ベース、キーボード)を核とし、ジョン”ジェイシー”カイペルス(ボーカル)、アンディ・バーゲス(ギター、キーボード)、ハンス・イン・ザント(ドラムス)というラインナップで活動している。

彼らは2022年に『Katharsis』をリリースし、2024年には最新アルバム『Defiance』を発表するなど、現在も精力的に新作を制作し続けている。ティノ・トロイは、自身の年齢や身体的な衰え(関節炎や耳鳴り)に触れつつも、「まだアルバムが残っているようだ」「倒れるまでロックする」と語っており、その音楽への情熱は尽きることがない。彼らの活動は、単なる懐古趣味ではなく、今なお進化し続けるバンドとしての姿勢を示している。

彼らがヘヴィメタルシーンに与え続けている影響

Praying Mantisは、NWOBHMのバンドでありながら、よりメロディックでAOR的な要素を取り入れた先駆者の一つだ。彼らのツインリードギターと美しいコーラスハーモニーは、その後のメロディック・ハードロックやAORバンドに少なからず影響を与えたはずだ。彼らのサウンドは、単なるヘヴィネスに留まらず、叙情性やドラマ性を重視するバンドの道を開いたと言える。

彼らはIron Maidenのような爆発的な商業的成功は収めなかったかもしれないが、その一貫した音楽性と、困難を乗り越えて活動を続ける姿勢は、多くのバンドやファンにとっての「レガシー」となっている。彼らの物語は、流行に流されず、自分たちの信じる音楽を作り続け、それを愛するニッチなファンベースを大切にしてきたことの価値を教えてくれる。彼らが築き上げてきたものは、単なるディスコグラフィーの羅列ではなく、ヘヴィメタルというジャンルにおける多様性と深遠さの証しなのだ。

僕がPraying Mantisに抱く、尽きることのない期待と敬意

彼らの音楽は、僕の人生の様々な局面で、静かに、しかし確かに寄り添ってくれた。デビュー当初の輝き、不遇の時代、そして日本での再会。その全てが、彼らの音楽に深みを与えている。バンドは結成から半世紀近くが経過し、メンバーの高齢化や現代の音楽業界の課題に直面している。それでも、彼らはコンスタントに新譜をリリースし、ライブ活動を続けている。

ティノ・トロイが語るように、彼らは「倒れるまでロックする」だろう。その言葉を聞くたびに、僕は胸が熱くなる。彼らが奏でる哀愁のメロディと、決して折れない精神は、これからも多くの人々の心に響き続けるに違いない。Praying Mantisは、僕にとって、そしてきっと多くのファンにとって、ただのバンドではない。それは、時を超えて輝き続ける、希望の象徴だ。彼らの長寿の秘訣は、初期のマネジメント問題や商業的成功の限定性といった逆境にもかかわらず、その核となる音楽性(メロディとハーモニー)を一貫して追求し続けたことにある。この「不屈の精神」と「普遍的なメロディの魅力」こそが、彼らがヘヴィメタルシーンにおいて、独自の「レガシー」を築き、今なお活動を続けられる理由なのだ。

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